第四章 魔法少女は十六歳

 早朝の静かな校舎の廊下。そこには一人の少女の姿があった。彼女の名前は沢井遙。ここ、私立名陽高校に通う高校生である。
 突然だが、実は今彼女は非常に悩んでいた。
別に自分の身長のことについてではない。確かに高校生にもなって、小学生に間違われる自分の体形にはコンプレックスを抱いてはいるが、それは今悩んでいる内容とは一カケラも関係がなかった。
 彼女が悩んでいるのは別のこと。ある意味、彼女の将来を左右するものでもある。
 彼女は何を隠そう魔術師だ。
 頭にまだ見習いと言う文字がつくのだが、彼女の年ではそれは当たり前とも言えよう。
 ことの起こりは一週間前にさかのぼる。その日、彼女はいつものように師匠の所で魔術に対する授業を受けていたのだが、その時不意に師匠が「もうそろそろ一人で仕事をしてみないか?」と言ってきたのだ。
 今まで師匠の仕事を手伝ったことはあったが、それはどれも死にそうなことばかり。それを一人でやるとなると、はっきり言ってためらわれる。まあその時は彼女が返答に四苦八苦しているのを見て、その時師匠は「返事は来週でいいから」と言ってくれたのだが。
 これがちょうど今日から一週間前の話である。
そう、ちょうど一週間前。ちょうど一週間前に師匠は「返事は来週でいいから」と言った。
 つまり、返答は今日である。
 この一週間悩み続けたが答えはでない。やりたいという気持ちはあるのだ。自分の力を試してみたい。そういう願望は確かにある。しかしだ。その気持ちはあるのだが、失敗することを考えるとどうしてもイエスとは答えられない。
「はぁ」
 彼女はため息をついた。この一週間彼女の中ではこの考えがずっと堂々巡りしていた。
(魔術のことを濁して人に相談してみようかなぁ…)
 ふと彼女はそう思い、親友の顔を思い浮かべるのだが、それはすぐに却下する。
 彼女が相談相手に不向きだというわけではない。ただ、今の彼女に相談してもいいものかと考えたのだ。なぜだか知らないが、友人の恭子はこの前から元気がない。理由を聞いても曖昧に答えるだけで、はっきりとした答えは返ってこないし、どこか疲れた感があるのだ。
そんな状態の人間に相談を持ちかけるのは友達として気が引ける。かといって、彼女以外によき相談相手の候補がいるかと言われれば、首を縦に振ることが出来ないのが現状だ。
「はあ」
 彼女は再びため息をついた。
 自分のことでも手がいっぱいなのだが、そう考えると恭子のほうが心配になってくる。彼女に元気のない理由は知らないが、早く元気になってくれないものであろうか。結局答えは見つからず、むしろ気苦労が増えたところで遙は自分の教室のドアへと手をかけた。
 築十年も経ってないはずなのに遙の教室のドアは開きにくい。
 先日、教室で騒いでいたクラスの男子の一人がそこへ不可抗力とはいえ体当たりをしてしまってからだ。どうやらその時にドアの滑車がどうにかなってしまったらしい。 
新学期が始まって、まだ一ヶ月も経っていないのに元気なものである。
 よいしょと力を込め、ドアをガタガタさせながら開けると遙は教室の中へと入っていった。
 いつものこの時間、教室には誰も居ない。時計の針が七時の四十分を超えるか超えないかといった時間帯であるから当たり前だ。こんな時間に学校に来るのは朝練をしに来た生徒か、なにか特別な用事があるものだけだろう。…もしくは、通学用のバスがちょうどこの時間帯だけしかない者か。
遙は悲しいことに一番後ろに該当していた。彼女の家はここから車で三十分程度の所にあるのだが交通の便が悪く、朝の通勤時でも一時間に一本のバスしかない。ホームルームが八時半から始まることを考えると泣く泣くそれで通学しなければならないのが現状だ。
そういう理由で彼女はいつも一番初めに教室のドアをくぐる訳なのだが、どうやらきょうは違うらしかった。
教室の窓際の席には一人の女生徒が机にうつぶせになっている。顔は見えないが、その後姿から誰かはすぐに分かる。
「おはよう、恭子ちゃん」
 遙は彼女に向かって挨拶をするが返事はない。どうしたのかと思い、遙は近づいてみるのだが、理由はすぐに分かった。耳を澄ませば朝のしんと静まり返った教室に聞こえるのは彼女の寝息。いつからここに居るのかは分からないが、彼女はぐっすりと眠っている。
 一瞬起こそうかなと思い、遙は恭子に手を伸ばすがやめる。
 先にも言ったように、最近の恭子の様子は疲れていた。もしかして、夜はまともに眠れなかったりしているのではないだろうか。
遙はそう想像をし、もしそうならこのまま眠らしてあげた方がいいだろうと思い自分の席、恭子のすぐ後ろの席へとかばんを置き、座る。
そして、彼女は机に荷物を入れると眠っている恭子を心配そうに見つめ続けた。

「うう、お母さんごめんなさい
 恭子は今日、犯罪者になります」
 恭子は静かにさめざめと涙を流していた。
 時は戻って昨日の晩、午後九時のこと。恭子は紡に呼び出され、大学サークルWOCもとい、エデンの秘密基地へと出頭していた。
 彼女の目の前にあるは一つの鎧。日本のものではなく、中世ヨーロッパのフルアーマーである。紡曰く、これが恭子の兵装だそうだ。しかし、
「こんなもの着て、どう動けというのよ!」
 鎧は彼女の身長のゆうに二倍はあった。はっきり言ってサイズ違いである。いや、そもそも言うのであれば普通に考えて女子高生がフルアーマーなんぞ着て動けるわけがないのであるが。
 恭子は叫びながら紡を睨みつけるが柳に風。彼は何も気にした様子もなく「心配しなくてもよい」と言う。
「どう見たって、着れないでしょうが!」
「なに、これは一種のロボットだ。動かすのに力などいらない」
「ロボット?」
恭子が疑問を口にすると紡は鎧の胸部分を開いた。見ればそこには人ひとりは入れるくらいの球体になっており壁にはクッションが取り付けられている。もっとも、それよりも恭子は上から垂れ下がっているコードとヘルメットの方が気になったのだが。
「この鎧の名前はシルビアという。これは、そのままお前のコードネームになるから覚えておけ。シルビアはそこにあるヘルメットをかぶることにより、使用者の脳波を読み取って動くように出来ている。使用者は中でそれをかぶっているだけでよい」
 紡はこともなさげに鎧について説明するのだが、本当ならすごいことである。
 思わず恭子が「マジ」と言えば「マジだ」と言う答えが返ってきた。
「つーかそれノーベル賞ものじゃないの?
 なんで、ただの大学のサークルにそんな技術があるのよ」
「ただの大学のサークルではない。秘密結社エデンだ」
「はいはい、そーでしたね」
 紡が恭子の言葉を否定すると恭子は諦めたように言う。この組織がただの大学(?)のであることを恭子はすでに聞いていた。日本征服という野望が目の前の変人によって始められたこともだ。さめざめと泣きながら事情を話してくれたほかの四人の幹部達の顔は忘れそうにもない。恭子と他の四人とが強く結ばれた瞬間である。
 恭子はそれを思い出すと額に手をあてため息をつく。
「なにため息をついている。ため息をつくと幸せが逃げるとよく言うだろう」
「誰かさんのおかげで幸せが逃げたからため息をついているのよ」
「なるほど、それは道理だ。まあ、それはともかく早速ここの中に入ってもらおう」
「それはともかくって、あんた皮肉が通じないのって何処触ってるのよ」
 紡は話もそこそこに恭子を鎧の中に押し込めようとするが、どうやら微妙なところに手が触れてしまったらしい。恭子は赤くなりながら叫び、顔面に向かい蹴りを飛ばすがそれは簡単によけられてしまう。
「よけるな!」
「よけないと怪我をするではないか」
「怪我させようと蹴ってるのよ」
「ふむ、しかし私は蹴られて喜ぶ趣味を持っていない。
 さっさと中に入らぬか」
「あー、だから入るから触れるなっつうの」
 恭子は叫びながら幾度も蹴りを繰り出すのだが、それは全て空を切る。技量が違いすぎるのだ。攻防は実に十分にも渡り続いたのだが、それはやがて恭子が疲れ果て紡をぶちのめすのを諦め、おとなしく鎧の中に入ることで終わった。
ぜえぜえと息をつきながら恭子は鎧の中に腰掛ける。服越しに感じるクッションの感触は存外に心地がよい。恭子はその感触を楽しみながらもコードの着いたヘルメットをかぶると鎧の中に入りきるようにひざを抱えた。
「準備は出来たようだな。扉を閉めるぞ」
 恭子が入りきるのを確認すると紡は扉に手をかけ、鎧を閉じる。その瞬間目の前が暗くなるが、視界はすぐに開けることとなる。
 目の前に広がるのはさっきまでいた部室の風景。下を見れば見上げるような形で紡がこちらを見ている。
「え、えっ?」
 しかし、その光景を見たとき恭子は混乱した。なぜならその目に映る光景はモニターなどの出力装置からの情報とかではなく、彼女の目に直に映っているからだ。
「こちらが、見えるか?」
「え、た、確かに見えるけど、えっ」
 恭子は混乱しながらも自分の体を見ようとする。持ち上げた腕は鉛色をしていた。
「多少混乱があるようだから補足しよう。これにはFEPというシステムが積まれている。規定値以上の痛み以外を使用者にフィードバックするものだ。分かりやすく言うと、自分の体が今入っている鎧になっていると思えばよい」
 紡の説明を聞き、恭子は納得をする。
 持ち上げた鉛色の腕は確かに鎧のものであるし、彼女の見ている視線は間違いなく鎧の目から見たものであるからだ。さらにいうなれば、体を動かすときに空気が動く感触さえもある。
 本当に自分の体がまるで鎧になったようだ。しかし、そうなると逆に不安になってくる。完璧な感覚であるが故にこのまま元に戻れなくなるのではないかと思えてくるのだ。
「ね、ねえ、これってちゃんと戻るわよね」
「心配しなくても、鎧のハッチを開ければ元に戻る」
 恐怖に駆られて聞いてみれば、返ってくるのは肯定の意。恭子はそれを聞いてほっとする。
いくらなんでも、変な組織にかかわってしまったために一生鎧の姿なんていうものはいや過ぎるからだ。そして、しばらく待機していろといわれ、暇つぶしをかね感触を確かめるために腕をぶんぶん回したりすること数分。いいかげんその行為に飽きて、動きを止めるとふと視線に気付いた。部屋の入り口を見れば見知った人影が一つ。
「あ、エレイシアちゃん」
「ひょっとして、お姉ちゃん」
最初は怪訝そうにこちらを見ていた紅い少女は、恭子が声を出すと驚いたように声を上げた。
「その格好…
 いえ、聞くまでもなかったわね」
「ええ、部長さんにね…」
 同情の篭もった言葉を受けると、恭子は諦めたかのように頷く。
 二人の心が重なり合う数多き一瞬であった。
「それはそうと、エレイシアちゃんも呼び出されたの?」
「うん、今日の五時にメールが届いて…
 ってなんでエレイシアちゃんって呼ぶのよ」
 恭子は暗い空気を変えようと話題を変えるのだが、呼び方が気に喰わなかったらしい。エレイシアもとい工藤は米神に血管を浮き上がらせる。恭子はそれを見てあわてて言い直した。
「ああ、ごめん。エルちゃん」
「そういう意味じゃない! だから、わたしの方が年上だし」
「またまた、どう見てもエレイシアちゃんって十歳にしか見えないよ」
「だから、この体は人形で本当は男なんだってば!」
 工藤は抗議するのだが恭子は一向に信じようとはしなかった。
 裏の世界に入って数日しか立ってない恭子にとって、人間そっくりの人形なんて信じられないのだろう。冗談だと思い笑い流すのだが、それにより工藤はますます熱くなる。
「だから、そもそもわたしの体は…」
「エルちゃん。いくらうまい冗談も繰り返されると笑えなくなるよ?」
口論は続く。終わりのなさそうな言い合いは、しかし現れた第三者によって止められる。
 いつの間に現れたのか分からないが紡によってだ。
「ふむ、そろったようだな」
 彼は二人がいることを確認すると、さっさと陰陽課の詰め所の襲撃を命令し消えてしまった。
 後に残った二人が今の自分達の状況を思い出し、いきなりブルーになったのは言うまでもなかった。

 うなされている恭子を見て遙は彼女を起こすかどうか迷っていた。いや、そもそも寝言が「まずは話し合おう…」とか「迫撃砲が…」とかどのような夢をみているのだろう。
 彼女の後ろで観察すること数十分、だんだんと恭子の寝息が苦しそうになり、危険な言葉を寝言として彼女はしゃべり続けている。
「起こしたほうがいいよね?」
 誰に確認をしたのだか、遙はそう呟くと立ち上がり恭子を揺すろうと手を伸ばす。
 そして、彼女の肩に手が触れるのだが、
「アパッチが!」
 恭子は突如なぜか戦闘ヘリの名前を叫びながら立ち上がった。
 遙はその声に驚きバランスを崩してしりもちをついてしまう。
 朝の静かな教室なだけあって、その音はやけに響く。
「いったー…」
「あれ? 遙、何してるの」
 しかし、その音によって恭子は遙に気付いたようだ。不思議そうな目で彼女は自分の親友を見つめていた。
「うう、なんでもない…
 それより、恭子のほうは大丈夫? なんだかうなされていたみたいだけど」
 遙は痛むお尻をさすりながら立ち上がる。内心、恭子が原因でしょとか思っていたりするのだが、その言葉は尻餅をついた気恥ずかしさから喉の奥に押し込められた。
「えっ、ああ、うん、ちょっと昨日のことを夢見ちゃって…」
「き、昨日のこと?」
「うん、最近…
 そ、そう、バイトをはじめて」
「そう、バイト…」
 遙はそれ以上のことは聞かなかった。
 しかし、彼女の中では疑問符が渦巻いている。アパッチという言葉が、何を指すものであるか、遙に分からなかったが、迫撃砲という言葉には聞き覚えがある。
たしか、銃器の一種であったはずだ。迫撃砲の飛んでくるバイトとはいったいなんなのだろう。いや、そもそも恭子の物言いだとバイトというのも怪しい。
 しかし、そのことについてあまり触れてほしくないのは分かるので、遙はバイトということで納得することにする。だが、この言葉は親友として言わなければいけないだろう。
「じゃあ、最近元気なかったのって、そのせい?」
 恭子に最近元気がなかったのは確かなものであり、その原因を遙は知らない。
 恭子がバイトと表する何かがそれに関っている可能性は大いにあった。
「うん、ちょっとバイト先の一番上の人とそりが合わなくて…」
 恭子はそれをあっさりと認める。
 その人のことを思い出しているのであろうか、彼女は額を押さえながらため息をついた。
「そんなに厳しいんだったらバイトやめたら?」
「それが出来たらしているよ…」
「何か理由でも?」
「やめさせてくれないというか、何というか…
バイト先の先輩も見捨てられないし」
「そう…」
 遙はそれ以上聞かなかった。誰だって聞かれたくないことはある。
 とそこで恭子は思い出したかのように遙の方に聞き返してくる。
「そういえば、遙もこの前から何か悩んでいたぽかったけど、どうしたの?」
「え、あ、うん…
 こっちもバイト先でね」
「え、あの店長、遙に何かしたの」
「いや、そういうのじゃないけど」
 遙と師匠との関係は表向き喫茶店の店長とそのバイトということになっている。
 彼女の師匠は趣味で喫茶店をしており、周りから魔術のことを悟られないようにそういう形をとることにしているのだ。
「いやー、あの店長ロリコンだとは思っていたけど」
「二重の意味でどういう意味よ!」
「いや、遙がその手のひとに好かれそうな姿をしていて、あの店長がその手の趣味っぽいっていうこと」
「恭子ちゃん…」
 あっさりと断言する親友に遙は軽いめまいを覚える。
「嘘だって。で、遙の方もバイト先でなんかあったの?」
「うん、仕事を一人でやってみないかって」
「それって、一人であの喫茶店をきりもりするってこと?」
「い、いや、そうじゃなくて、別の仕事だけど」
「あの人、喫茶店以外でも仕事やってたの?」
「うん、なんというか、何でも屋みたいなことを。それで、人手が足りないっていう所があって…」
「それを手伝えって? 何の仕事?」
「えーと、探偵の手伝い」
「探偵?」
 遙は少し悩んだ後、そう答えた。
 今回の仕事は警察の手伝いだ。何かの事件の捜査をするらしいから、この答えは当たっていなくとも遠くはないだろう。
 恭子は聞きなれているが、身近にない言葉に疑問符を挙げている。
 しかし、その瞳は好奇心でキラキラと輝いていた。
「探偵ってあの探偵よね」
「う、うん」
「あーいいわ。
 意味ありげな依頼をする女性、送られてくる脅迫文、依頼主の意外な過去、そして宿敵との再会!
 ああ、燃えるわ」
 どうやら彼女の頭の中ではハードボイルドな世界が広がっているらしい。
 そして、拳を握り締めながら妄想を叫び挙げるのだが、その言葉は突如として止まった。
突如出来上がった物語の主人公が悪の秘密結社と戦う場面でだ。
「ど、どうしたの」
 急に固まった恭子に遙は聞くが、恭子はそれに、気付かない。
 なにやら呟いているようで、ぼそぼそと音が聞こえる。遙は耳を澄ませるが、あまり良く聞こえない。まあ、それは恭子のためにも良かったであろう、なぜなら恭子の喋っていたことを書き示すと以下の通りだからだ。
「戦う組織はエデン? あそこ、一応悪の組織だし、テロもやっちゃったし…
となると遙と戦うのは私? 物陰から銃弾を打ち合い、殺されたところで遙が私に気付く?
 物語としてはおいしい役だけど、殺されるのはちょっと…」
 外ではしゃべっていけない事をバリバリ言っている。
 やがて、恭子は頭を抱えて叫び声を挙げた。
「そんなのいやー!」
「ちょ、ちょっと恭子どうしたの」
 遙は恭子の体をがくがくと揺する、それで恭子は我に還ったようだ。
 咳払いをしながらも言葉を取り繕う。
「いや、遙気にしないで、ちょっと遠くに行ってただけだから…
 それはそうと、遙はその仕事請けるの?」
「え、えっと、それがちょっと迷ってて」
「なんで?」
「今までも手伝ったことがあったんだけど、それが結構危ないこともあって…」
「でも、やってみたいと」
 恭子は遙の真意を汲み取って言葉にする。
 ここの所は長い付き合いだ、遙の物言いから彼女の気持ちはすぐに分かる。
「なら、やったほうがいいと思うよ」
 恭子は悩む間もなくあっさりと答えを口にした。
「そ、そんな簡単に…」
「人間やらずに後悔するより、やって後悔した方がすっきりするよ。
 それに後悔するとも限らないし、やりたいならやったほうがいいって」
「う、うん」
「まあ、最後は自分で決めることだろうけど、私が言えることはそんなところかな」
 恭子は遙に勇気付けるようにいう。
 遙の中で答えが決まった。迷いは残っているが、恭子の言うとおりだと思ったのだ。
 放課後、彼女は師匠にイエスの返事をすることにした。

 一茶は一人とぼとぼと歩いていた。
 特に意味は無い。しいて言えば、気分転換であろうか。
 彼は思う。自分の思い描いていた大学生活は断じてこんなもののはずではなかったと。ならば、自分の財布の中に入ってある一枚のカードはなんなのであろうか。
 お世辞にも厚いとはいえない財布の奥深く、そこには一枚の黒いカードが入っている。
 表面には何も書かれてはおらず、材質はプラスチックのように見えるのだが、それは見る人が見ればすぐに分かるものであった。
 高度な魔術的装置であることを。
 着替えるのに時間がかかっては大変だろうという一言の下渡されたカードは、一言で言えば転移装置であった。もっとも、かなりの限定条件が付けられているが。その限定条件とは、転移できるものが服装ということ。ぶっちゃけ、これは聖なる瞳の観測者変身セットであった。
 これさえあれば、いつでも何処でも変身できる。
 …迷惑な話である。
 彼は再びため息をつくと空を仰いだ。気分は最悪だ。
「また、あの喫茶店にいくか…」
 彼はそう呟くと目的の場所に向かって歩き出した。向かうのは町のはずれ。
商店街からもオフィース街からも住宅地からも外れた場所にその喫茶店はある。
 はっきり言って、店をやる立地条件としては最悪のような気がするのだが、店内に寂れた様子がないのがその喫茶店の特徴だ。とは言っても、一茶はその喫茶店で自分以外の客をあまり見たことがないのだが。やけに定休日が多いことも原因の一つかもしれない。
 しかし、そんな場所を親元から離れ下宿生活を始めたばかりの一茶がなぜ知っているかというと、それは秘密結社エデンの活動が開始されたあの悪夢の日までさかのぼる。
 その日、一茶は部活の終了後にこれからの大学生活に絶望を抱きながら帰り道を歩いていた。
 人間落ち込むと周りが見えなくなることがある。新生活を始めて一週間程しかたっていない一茶は下宿先に帰るはずが、何処をどう間違えたのか街の外れまで歩いてきてしまった。
 見慣れぬ場所に出てきてしまい、一茶はちょっとあせりながらも周りを見渡す。
 建物の数も少なく、街の中心部からだいぶ外れてしまったことだけは分かるのだが、自分の立っている場所が何処であるかは分からなかった。
 もう、大学生にもなっているのになんとも情けない話だが、必死で帰り道を探していると見つけたのがその喫茶店というわけだ。
 それから、いやなことがあるたびにその喫茶店に通っているわけだが、その頻度が高いのは彼の生活がすさんでいるからであろうか?
 彼はそんなことを考えながら喫茶店のドアを開ける。いや、すさんでいるというより泥沼となっているだけだ。カランカランとドアを開けると同時になるベルの音さえ自分を慰めているように感じるのは重症であろう。
「いらっしゃいませ」
 彼は少女の挨拶に迎えられながら、カウンター席へと腰を下ろした。
「いらっしゃい。
 一茶君。なんだか今日も疲れてるね」
「ええ、だから癒されにきました」
 それと同時に声をかけてくるのはこの店のマスターである大西大輝だ。
 彼はニコニコと笑顔を浮かべながら一茶を出迎える。
「また、サークルで嫌な事があったんですか?」
 続いて声をかけてきたのは先ほど彼にいらっしゃいませと挨拶した少女、名前は遙という。
 初め一茶は遙のことを大輝の娘だと考えていたのだが、どうやらそうではないらしいということが最近分かってきた。なにせ、遙の苗字は大西ではなく沢井だったからだ。
 考えてみれば、確かに二人は似ていない。ならば、知り合いの子に手伝ってもらっているのかなというのが一茶の最近の考えだ。じゃないと、小学生がお店の手伝いなんてしないだろう。
 もっとも、それは一茶の勝手に思っていることであり、遙はれっきとした高校生であるのだが。彼女の幼い容姿のために間違うことは致し方ないが、もしそう考えていることを遙が知ったらへそをさぞかし曲げることであろう。
「ああ、遙ちゃん。今日もがんばっているようだね」
「ええ」
 一茶は当然のように小学生に向き合うように話しかける。
 ニュアンス的には「今日もお手伝いえらいね」という感じだ。
 しかし、遙はそれに気付かない。笑顔で返事をし、自分の仕事をこなそうとしている。
 だが、二人のためには互いにその方がいいだろう。さらにいうなら一茶のためにはそうであるほうが望ましい。なにせ、一茶にとってこの店での癒しはがんばって働く遙を見ることなのだから。
 別に一茶はロリコンというわけではないが、小さな子供ががんばって仕事をしている姿は見ていて微笑ましく、心が安らぐのだ。
「一茶君。注文はいつもどおりでいいかな?」
「あ、ええ、ブレンドコーヒーとサンドイッチでお願いします」
「了解。遙君、サンドイッチのほうは頼んだよ」
「了解しました。マスター」
 一茶は注文をすませると、仕事をする遙を目で追った。彼女は調理場のまな板の前に立ち、サンドイッチに使うための野菜を切っている。その手際はよく、慣れた様子が見て取れる
「はい、コーヒーお待ちどうさま」
 その姿を見つめているうちにコーヒーのほうは出来たらしい。
 大輝の掛け声と同時にソーサーに乗せられたカップが出てくる。
「ありがとうございます」
 一茶はカップを取ると一口それを口に含んだ。口の中に広がるのは深みのあるコーヒーの香り。心が和む。
「一茶君、人間向き不向きがあるんだ。サークル活動が性に合わないならやめるのも手だよ」
「それが出来たら悩みませんよ。
 やめちゃいけないなんて事は言われてないんですけど、なんだかやめれる雰囲気ではなくて」
 大輝は心配そうに一茶にそうアドバイスをするが、サークルの様子を思い出すとそう答えることしか一茶には出来ない。
「難しいものだね。
 …そういえば、君のところのサークルって一体どんなことをしているんだい?」
「ええと…」
 何気ない一言、しかしその一言一茶は悩んだ。
 あのサークルの内容をそのまま言うのははっきりいって無理だろう。人の口に戸は立てれぬもの。行政に追われている身である以上、自分の犯罪暦に関することを言うのはやばい。
「なんというか、サバイバルゲームを…」
 一茶が頭をフル稼働させ、ようやく出た言葉はそんな言葉だ。
「サバイバルゲーム? ああ、エアガンで打ち合うあれか」
「ええ、相手は容赦がなくて、相当強力なエアガンを使ってきますが」
「エアガンも改造すると、人を殺せるっていうしね。大丈夫かい?」
「死にそうです。ロケットランチャーまで使ってきます。
 先輩の話では昨日はアパッチまで持ってきたと」
「た、大変だね」
「ええ、でも同じサークルの先輩もがんばってるんで、やめるにやめれなくて」
 あと、部長にやめたら何されるか分かりません。
 出そうになった最後の言葉をなんとか口の中に押し込め、再び一茶はコーヒーをすする。
 実に真実が見え隠れするようなすれすれの会話だ。
「アパッチってなんですか?」
 とそこでサンドイッチが出来上がり、運んできた遙が会話に交わってくる。
 遙の疑問も当たり前だ。普通に考えれば一般の女子高生が戦闘ヘリに詳しいはずはない。
「ああ、アパッチって言うのは、戦闘ヘリの名前だよ」
「アパッチって戦闘ヘリの名前なんですか!」
 一茶は何気無しにそう答えるのだが、遙が驚くのを見て慌てて言い直した。
「え、ああ、いや、そう、それのラジコンだよ」
「あはは、そうですよね。サバイバルゲームで本物の戦闘ヘリなんて使いませんよね。
 ちょっと、今日友達がアパッチって言う言葉を叫んでたのを思い出しまして…
 すいません、へんに驚いちゃいました」
「はっはっは、変わった友達だね」
 一茶の笑いはなんだか苦しい。こういうところから犯罪はばれるのかもしれないと一茶は心の中で冷や汗を流しながら思った。

「じゃあ、一茶君またね」
「ありがとうございました」
「また、来ます」
 暗闇が迫る頃、一茶は晴れ晴れしい顔で店を出て行った。
「遙君。おつかれさま。今日はもうこれで店を閉めることにしようか」
「はい」
 大輝は一茶を見送ると遙にそう言い渡し、看板を『支度中』に変えるため、外へと出て行く。
 遙はその間に店内の片づけを始めた。使い終わった食器を流し台に持って行き洗う。とはいっても、洗う食器は先ほどまで一茶が使っていたカップとお皿一枚だけなので、大輝が外の仕事を済ませるまでに終ってしまい、その後は二人でテーブル席の椅子を上に上げる作業に没頭した。さして広くない店内。閉店作業も十数分で終わりを迎える。
「さてと、片付け終了。
 それでは魔術の勉強に入ろうか」
 大輝は片づけが終了したのを見ると、首を鳴らし遙にそう告げる。
 遙がこの店に通っているのは魔術を習うためであり、さっそく授業を始める大輝の姿勢は頼もしい限りなのだが、遙は今日に限り待ったをかけた。
「あの、マスター。その前に一ついいでしょうか」
「ん? どうしたんだい?」
「あの、この前の仕事の件ですが、引き受けさせていただきます」
 遙がそういうと、大輝は訝しげな顔をし、数分悩んだ後、手をポンと叩いた。
 どうやら忘れていたらしい。
「マスター、忘れていたんですか?」
「はっはっは、そんなわけないよ」
 嘘だ。そう思いながらも、遙は話をこじらせないためにあえて言わないことにする。
 しかし、次に大輝から出た言葉は、彼女の予想から外れていた。
「ああ、あの話なんだけど…
 僕から勧めたくせに悪いんだが、やっぱりやめないか?」
「どうしてですか」
 せっかくやる気になった手前納得できず、遙は理由を聞く。
「いや、その仕事の下調べに行ってみたんだけど、今回の相手は組織的な動きをしているらしくてね。陰陽課の方もここ一週間くらいで六回も襲撃をされている。
幸いまだ死人は出ていないらしいけど、相手はほぼ毎日襲ってくるような奴らだ。
 そんな所にかわいい弟子を行かせるのは気が引けるよ」
「そう、ですか…」
 遙は待機の話を聞き終わるとため息をついた。
 彼の声に妙な重みを感じたからだ。こういう言い方をしたとき、彼女の師匠は並大抵のことでは意見を変えたりしない。つまり、今回の仕事はそれ程危ないことなんだろう。
 遙は今回の件を見送ることにした。最もそれは次の大輝の言葉を聞くまでだったが。
「だから今日の授業も早めに終わるから。何かの魔力を感知しても見に行ってはいけないよ」
「それって、どういうことですか?」
「ああ、言ってなかったっけ。その仕事の場所だけど、この街なんだ」
 それを聞いたとき、遙の中で不吉な想像が広がる。その想像とは彼女の親友である恭子のことだ。確か今日の帰り際、彼女は今日もバイトだといっていた。夜遅くなるとも。
「ほ、本当ですか」
「そ、そうだけど…」
 切羽詰って聞く遙の言葉に大輝は少しばかり気おされる。
「その事件、一般人が巻き込まれるなんてことは…」
「今はまだ出てないみたいだけど、街中で戦闘が繰り広げられているからね」
 そこまで言ったところで大輝は自分の失敗に気付いた。
 遙の顔はとても張り詰めている。何か自分の大切なものが危険にさらされているような。
「…マスター」
「遙君。ダメだ」
 大輝は遙の言おうといていることを予測し、間髪なくとめる。
「でも…」
「日本の警察、陰陽課は優秀だ。彼らに任せておけば大丈夫だ」
「…」
「僕も事件解決のためにがんばるから」
 安心させるように大輝は遙に言うが、彼女は納得してはいない。
 彼女の瞳は大輝を見つめたまま動かなかった。そして、どのくらいその状態が続いていたのだろう。不意に大輝の目線がそれる。何かを諦めたかのような表情。彼は大きくため息をつく。
「分かった…
 僕の負けだ」
「マスター、じゃあ」
「一人で仕事はさせれないけどね。
だが、これだけは約束してくれ。仕事中は僕から離れないと」
「ええ、いつものように張り付いてます」
 遙は満足したように笑う。
 この師匠あって、この弟子あり。
 どうやら、こうと決めたら譲らないのは師匠譲りらしい。

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