第六章 うまれる恐怖

 一茶は唖然とした表情で二つの人影を見た。
 それはもう仮面をかぶっているにもかかわらず、傍から見ている人間にも分かるくらいに。
 二つの人影は見覚えのあるものだ。いや、正確には少し違うのだが、かつてそれと同じものを見たことがある。日曜の朝のテレビの中で。
二人のうち一人はひらひらのドレスを着、ピンク色のステッキを持っていた小学校五年生くらいの子供だ。彼の記憶が正しければ、あれは現在とあるテレビ系列で放映されているアニメ、リリカルえりぃに酷似している。日曜の朝、偶々見かけたことがあるのだ。
そして、もう一つの姿はフルメイルの黒い鎧を纏った男。フルメイルのデザインは数あれど、あんな機能性を無視したものは一つしかあるまい。同じ時間帯に放映されている特撮である仮面騎士ロイである。
「り、リリカルえりぃ、ここに推参」
「さあ、奏でよう。終わりの唄を」
彼らはそれぞれ、女の子の方は恥ずかしそうにポーズを決めると場にいる者たちに対して高らかに宣言をする。先程までガチ戦闘をしていただけに、予想外の乱入者は場をこれ以上もなくしらけさせる。その反応に女の子の方は果てしなく恥ずかしそうに身を小さくしたが…
「お兄ちゃんたち気をつけて。見た目はあれだけど、相当の実力者だよ」
 その空気を割ったのは誰であろう工藤だ。
 彼女もとい彼は気を引き締めるようにエデンの戦士達を叱咤する。
「で、でも、あの格好はちょっと…」
「あの格好こそが問題なの。例えば、あの女の子の顔をあなたは理解できる?」
「そんなの顔が見えているからあたり…」
 前じゃないですかと言おうとして一茶は止まった。
工藤に言われて一茶は女の子を見るのだが、その顔が認識できないのだ。
かわいい子であることは分かる。顔のパーツが一つ一つどのような感じかも説明できるのだが、次の瞬間にはそれがどんなものだったのだがぼやけてしまうのだ。
「あれは高度な意識阻害がかけられているの。
 効果は実感してみたとおり。見た目はあれだけど、間違いなく一流の魔術師よ」
 そこまで言われてやっと一茶は目の前の二人がとんでもない者であることを知る。
 見た目があれだが、どうやらそれにだまされてはいけないようだ。
「お、大西さんですよね」
 エデンのメンバーは工藤の一言によって立ち直ったが、林のほうはそうはいかなかったらしい。彼は方に汗を一筋垂れ流しながら仮面騎士に答えを求める。
『否、私は大西というナイスな魔術師ではなく、仮面騎士ロイだ」
 しかし、返ってきたのはそんなおかしな答えだ。
 横にいる仮称えりぃはそんな仮面騎士を見て「マ、マスター」と慌てている。
「いえ、大西さんじゃ…」
「くどい、私は仮面騎士ロイだ」
 にべもなく林の再度の確認の言葉は切り捨てられる。それはもうバッサリとだ。
林は頭が痛そうにこめかみを押さえると、やがて絞るような声をだした。
「…そ、それじゃあ、仮面騎士殿。あの者達を捕らえるのに協力していただけないでしょうか」
「承知」
 答えるや否や彼は腰にさしてあった三十センチほどの筒を取り出した。そして「はっ」という掛け声のもと、そこからは光の剣が延びる。一茶は仮面騎士ロイにあまり詳しくないので知らないが、見る人が見ればロイの愛剣エクスソードということが分かっただろう。
 二つのグループの間に緊張が走る。しかしその緊張の中、工藤は頭の中に一つの引っ掛かりを感じていた。それはひどくこの場で大切なような…
「お、大西って」
 それに気付いたときは仮面騎士は目前に迫っていた。
 工藤は必死で振り下ろされる剣を避けるが金色の髪が一房中を舞う。
「総員帰還を、わたし達じゃ絶対に敵わない」
 その一言を言い終えたところで、紅い少女の首は飛んだ。返しの刃によるものだ。振り切られたはずの剣はすぐさまに戻り、工藤の首をきれいに切断してた。
 断面からは血が大量にでているが、工藤自身は無事のようだ。
 その証拠に地面に転がった頭部からは矢次に仲間への指示が出される。
「部下を召喚して、それを全てこの男に向けるの」
「自分は動けないのに冷静な判断だね」
 仮面騎士は工藤の体が人形であることを一目で見抜いていたらしい。
 地面にすばやく魂捕縛の魔方陣を作るとそれを発動させるスペルを紡ぐ。
「させません」
 しかし、その魔方陣は完成する前に突如湧きあがった水によって消される。
 さらにその水は工藤の首を主の下へと運び去った。
 水の主、鈴穂は強い眼光で仮面騎士を見つめる。青色のベールの奥からはより青く光る瞳が浮き上がっている。
「エレイシアちゃんはすぐに帰還を、後の指揮は私に預けてください。
 大丈夫です。全員ちゃんと逃げ延びますから」
 鈴穂の言葉に工藤は何か言いたげだったが、今の状態の自分じゃ足手まといということが分かっているのだろう。「後はまかせる」と短くいって光の雫となり帰還する。
「水人よ」
 それを見届けると鈴穂は部下を召喚し、さてどうしたものかと目の前の相手を見据える。
 大西という魔術師がどういう存在かということを鈴穂は聞いたことがある。
 そのどれもが眉唾物の噂話だったのだが…
 なるほど、目の前で対峙してみればそのでたらめさがはっきりと分かる。
 迫り来るのは圧倒的な圧迫感。首筋に刃物を突きつけられたというのも生ぬるく、ギロチンの台に括り付けられ、刃物が首に降り立つ直前のような感覚だ。
 これでは部室への転移を始めたところでばっさりと斬られてしまうだろう。
 転移魔術というものは使う瞬間に大きな隙を生むものでもある。時間的にはたいした長さではないが、この魔術師にとってそれは十分だろう。さらにこちらの転移を逆手に取り、自分達を無力化させる場所に跳ばされたなら、目も当てられない。
 部下達を時間稼ぎに使えば十分かと考えたらどうやら無理らしい。紙くずのようにばっさりとたやすく蹴散らされていく水人達を見ながら彼女はそう判断した。
 これでは一茶の一目と大牙の骨格獣を合わせたところで焼け石に水ではないだろうか。
「一目と骨格獣をこちらにまわして。
 銀狼とシルビアはそちらの男を、観測者はそっちの女の子を相手にして」
 今は確率の高い作戦にかけるしかない。
 鈴穂は決断する。少し迷ったが林に大牙と恭子をあて、一茶にリリカルえりぃをあてることにした。リリカルえりぃの方は首の飛ぶ工藤を見て顔を青ざめていた。死んだと思ったのだろう。そこから判断するにまだまだひよっ子だ。一茶で十分対処できるはず。
鈴穂は手に水の力を集め始める。
 幸い一般人を寄せ付けないための意識阻害結界は張られていない。
 先程まで張られていた結界にその効果も含まれていたのだが鈴穂が割ったために今はさらの状態だ。このまま時間を稼いで誰か人が来てくれれば、陰陽課の人間はその性質上、一般人への対処をしなければいけないはず。
 問題は…
「私が一番最初にやられそうなのよね…」
 戦力的には鈴穂のところが一番厚いのだが敵は強大だ。部下達を全て失ったところで自分の負けは決定する。何しろ相手は工藤をああもあっさりと倒してしまう相手だ。工藤は若いがもうれっきとした一人前の魔術師である。一流といっても差し支えないほどの。
 数の有利がなくなれば工藤より確実に弱い鈴穂はあっさりとやられてしまうだろう。
 鈴穂は不安のぬぐえぬまま手の中に集まった力を仮面騎士にむかって撃ち放った。
夜はまだ終わらない。

「――――!」
 その光景を見たとき一茶は声にならない叫びをあげた。
 この街にある最大の公園。その広さは周囲一キロにのぼり、昼間は仕事に疲れたOLやサラリーマンがくつろぐその場所には少女の生首がゴトリと音をたてて落ちた。
 その断面からでる血はおびただしく、体が人形であることを忘れてしまうほど生々しかった。
 今自分はどんな表情をしているのだろう。死を目の前にした自分はどんな顔をして自分の知り合いの死体を見ているのだろう。
 突然のことに混乱しながら、その裏側では冷静にそう考えている自分の姿があった。
「部下を召喚して、それを全てこの男に向けるの」
 そんな一茶の心に差し込んだのは澄んだかわいらしい少女の声。最初その声が誰のものか分からなかったが、その発信源がてっきり死んだと思っていた紅い少女のものであると理解すると安堵が広がってゆく。
 しかしそれはすぐにあせりに変わった。
 仮面騎士が少女の生首に向かって歩みを進めているのだ。
 助けなければ。しかし、間に合わない。
 少女の首の周りには複雑怪奇な文様が浮かび上がり、やがてそれは光を増してゆく。
「させません」
 だがそれは何処から湧き立ったのか大量の水により流され、さらに紅い少女の生首は水によって仮面騎士より遠ざけられた。
 少女の生首を拾い上げるのは青いドレスの女性。
「エレイシアちゃんはすぐに帰還を、後の指揮は私に預けてください。
 大丈夫です。全員ちゃんと逃げ延びますから」
 その言葉に安心したのか紅い少女の生首は光の雫になって消えた。
「水人よ」
 鈴穂は自分の部下を呼ぶと一茶にも一目を呼び彼女に回すように要求をする。
 一茶はそれに答え一目を呼び出すと鈴穂の応援に回し自らの相手、リリカルえりぃを見据える。彼女は一茶の視線を感じ取ると手に持ったピンク色のステッキをよりいっそう力を込めて握りなおした。
「調整開始カウントハーフ」
 一茶が囁くように呟くのは仮面の新機能、一茶の未来視の能力を引き出すそれを使うためのキーワードだ。
一茶の目には普通の視界に加えて残像のようなものが重なる。薄く透けて見えるその映像は約零コンマ五秒後の世界だ。事実目の前の少女はその残像のような幻影を追いかけた動きをしている。頭が少し痛む。未来視の能力を無理やり引き出しているためだ。一茶はそれを我慢しながら銃を構えた。相手に向かって発砲した。
カチッ
しかし、パイソンから出るのは乾いた音だけだ。先程のように銃口から光線が発射されることはなかった。どうやら弾切れの状態らしい。相手もそのことに気づいたのだろう。防御体制をといて、すぐさま攻撃へと移ってきた。
「くそっ」
対する一茶は悪態をつきながらパイソンをしまい、すぐさま拳を構えた。当然今まで一切の武道経験などあるはずもなく完璧な自己流だ。
来る。
 一茶は覚悟を決める。現実と重なる少女のコンマ五秒後の姿はステッキを大きく振りかぶり振っていた。その先から出てくるのは極彩色の光線。半ば相手の格好から予想のついていた攻撃だが、こうして本当にやられるとやはり目を疑う。
 光線の幻影の方は一茶を直撃したが、本物の方は避けるのに成功した。彼の立っていた場所を実際の光線が通り過ぎる。少女はそれを見越していたようだ。光線を放った瞬間に一茶と距離を詰めると、その無防備な腹に向かってステッキを突き出そうとする。
 しかしそれはかなわない。次の瞬間、彼女の視界はせまり来る拳でいっぱいになっていた。傍から見れば、少女が自ら拳に顔面から突っ込んでいるように見えたかもしれない。彼女はガードも間に合わず目を瞑る。
 真っ暗な視界の中、想像していた衝撃は来なかった。不思議に思いつつも目を開けば頭を抱えている彼女の敵の姿がある。
「ど、どうしましたか」
 言ってすぐ自分は間抜けな質問をしていると彼女は思った。相手に何を聞いているのだろうと。
どう見ても隙だらけ。攻撃するなら間違いなく今だ。理性は分かっていてもなぜだか動けない。いうなれば世界の心理だからであろうか。芸人ではないが、芸人としてやってはいけないような気がする。
 どのような心理か、彼女の中では意味不明な葛藤が生まれる。
…さっさと破棄してしまいたいような葛藤だが。
「だ、だめだ。小学生は殴れない」
 そして彼女がそのしょうもない葛藤に悩まされていると、彼女の相手、一茶はやがて頭から手をはなし言い放った。
「…」
 別に彼女は問いに対する答えを待ち望んでたわけではない。
 変な葛藤もあったのだが、それはお約束のようなものだから別にいいのだ。
 しかし、その答えを聞いたとき、彼女の心の中で聞こえるはずのない音が聞こえた。
 擬音語的には『ブチッ』というような音だ。
 その名称は俗に堪忍袋とも理性の糸とも呼ばれる。
「私はこれでも高校生ですよ!」
 ここは人のコンプレックスを見事に逆なでした一茶をほめた方がいいのか、真夜中の公園内を極彩色の光線が荒れ狂う。
 もともと戦闘能力の低い一茶は荒れ狂う魔力の嵐の中ただ逃げ惑うことしか出来なかった。

『アハハハ、コレッテ絶体絶命ッテコトデスカ』
 一方では極彩色の光線が荒れ狂う中、他方ではメタリックボイスの乾いた笑いという摩訶不思議なものが聞こえていた。
 声の主である恭子は同意を求めるかのように隣に立つ狼男をみる。
「うーん、答えは保留ということで」
 コードネーム銀狼という名前が示すとおり銀色に変色された体毛を持つ大牙はあいまいな答えを返すだけだ。しかし、そんなことを聞かなくとも絶体絶命のピンチということは二人ともよく分かっていた。
 先ほどまで三人で戦っていても互角だったのだ。
 それが戦力はマイナス一。状況は悪化している。
『デモ、ズルイデスヨ。鈴… ジャなかッタ、エエト』
「彼女のコードネームは海の雫だ」
『ソウそう、雫さんダケアんなに部下を引キ連レテ』
「なら交代するか?」
 そう言って大牙が鈴穂の方を軽く指差す。
 その先には圧倒的には数で上回りながら、それでも押されている女性の姿がある。
 彼女の周りにいる半透明の水で出来た人形や一つ目の鬼達は盾の役割も果たせず、仮面騎士の攻撃は確実に青いドレスの女性を追い詰めていた。
『遠慮シマス』
「賢明な判断だ」
 手のひらを返したように意見を変える恭子にそう言うと大牙は目の前に対峙する男を見る。
 親切にもこちらの会話が終わるのを待っていてくれたらしい。彼は大牙達の意識が自分の方を向くと「終わりましたか?」と一言言う。
「おかげさまで」
「では、始めますか」
「俺的にはもう帰って寝たいんだけどなぁ」
「こちらも仕事です。諦めてください」
「だったら、あんたを伸すまでだ」
 大牙は目の前の男、林に向かって距離を詰めた。二人の距離は二十メートル以上あったはずなのに次の瞬間にはゼロとなる。
 常人では反応できない速度。しかし、容赦なく顎を狙った一撃はいとも容易く避けられる。
 大牙もそれで決まるとは思っていない。その勢いを殺さぬよう続いて出た回し蹴りは相手のこめかみをえぐるものだ。
 ソニックブーム。あまりの速さにその足には空気の鎧がまとわり付き、威力を増して相手を吹き飛ばそうとする。
 ドコッ
 インパクトの瞬間。鈍い音と共に突風が周りを駆け巡った。
 しかし届いてはいない。大牙の足は突如出てきた腕によって止められていた。
「ちぃ」
 舌打ちをしながら尚も大牙の攻撃は続く。その攻撃はすべて必殺の威力が込められており、あたったら最後、三ヶ月はベッドの上で過ごすことになるだろう。
 そう、当たれば。
 肝臓を狙う一撃は振り上げられた足によってはじかれた。筋肉に覆われていない鎖骨を狙った拳は左手によって軽く流される。相手の体勢を崩すために膝を砕こうと入れた蹴りは空を切り、その瞬間がら空きとなった大牙のわき腹にはハンマーのような一撃がめり込む。
「ぐぅっ」
 血反吐を吐きながらごろごろと回転すること十数メートル。彼は恭子の元へと戻ってくる。
『ダ、大丈夫デスカ』
「お前も少しは手伝え」
 さっぱり役に立たない鎧の少女に向かい痛みを抑えながら言えば、返ってくるのは無理ですという答えだ。
 いかに鎧を着込み防御力と攻撃力を上げたとしてもその中身はただの少女。
 駆け引きと反射能力はそのままなのだ。当たり前である。
 例え加勢に入ったとしても邪魔にしかならないだろう。それがひどくじれったい。
「このままじゃジリ貧だぞ。
 俺がやられれば次に戦うのはお前だ。役に立たないなら先に逃げろ」
『デ、デモ』
「年下は年上に従うものだ。これでも俺は強いんだぞ」
 相手は俺よりも強いがなという言葉を飲み込み大牙は再び林に挑む。
 そう言われても「はい、そうですかと」という性格を恭子は持ちえていない。
 彼女に出来るのはただ大牙の戦いを見ていることしか出来なかった。

 ブンッ
 光の剣が振り切られ、今最後の部下が塵へと還った。残されるのは自分のみ。
 鈴穂の心に言いようのない焦りが浮かぶ。待ち焦がれている一般人も来ない。
こんなにいい女が待っているのにね…
 自分を鼓舞するためにも心の中でそう思うもののもう限界だった。
 彼女は知らない。今夜この公園は警察の手によって物理的に閉鎖されていることを。
 それを知ったとき、彼女はどう思うであろうか。言い終えようのない敗北感の中に沈むであろうか、それとも自分の考えのなさに笑うか。
 ともかく、それをたとえ知っていたとしても彼女には何も出来なかったであろう。
 相手はそれほどにまで巨大な力を持っているのだから。
(こんなにふざけた格好をしているのに)
 それを言えばお互い様なのだが、そんな考えは彼女の頭にはない。
 ただ、最後の力を使い、賭けに出るだけだ。
 しかし結果は…
 負けた。完膚なきまでに負けた。最大限に力を込めた水弾はいとも容易くかわされ、それを囮にして放った尾ひれは空を切った。
「やはり人魚だったみたいだね。君達は回復能力が異常だから厄介だ」
 突如足が魚の鰭に変わったのにも驚かず仮面騎士はだったらすぐに再生できないようにしないとねとばかりに手に持っていた剣を振り上げる。
 一般にはあまり知られていないが人魚の再生能力は人狼のそれと比べて同等かそれ以上だ。
 しかし、その半面再生速度は遅く、腕を落とされたらすぐに再生というわけにも行かない。
 そして、剣は容赦なく振り下ろされる。
 だがその瞬間、不意に彼女と剣の間に黒い影が舞った。
 その影は襲い来る光の剣を片手で受け取り鈴穂に向かって言葉を紡ぐ。
「すまない。遅くなった」
 影の正体は誰であろう、WOCの部長、エデンの長である紡だ。
 彼は剣をはじき返し仮面騎士の腹へ強烈な一撃を入れる。
「くっ」
仮面騎士はうめき声を上げながらそれを耐える。そして倒れない。
整備されたタイルをはじき飛ばし下の地面を露出されながら十数メートル後方に押し戻されるが、立った体勢のまま新しく現れた敵を見ていた。
「騎士たるもの女性にはもうちょっと優しくしたほうが良いと思うが?」
「貴様は?」
「ああ、自己紹介がまだだったな。私は混沌の統治者。
 彼女達を束ねるものだ」
 紡は不敵に笑う。自分がまるで絶対者と言わんとばかりに。
 エデン最強の使い手と日本屈指の魔術師の戦いはこうして幕を開けた。

「スターライトアタック」
 本来のアニメなら終盤にでる必殺技を湯水のように使いながら追いかけてくる少女に一茶の顔は大きく引きつっていた。いや、引きつっている理由の一部には一茶が失言をしてしまってから永遠とも言える十分間を全力疾走していることも加えられるかもしれない。おかげで仲間の姿はその他の敵と共にはるか彼方。振り返ったとしても見えない所まで来ているだろう。
 足はガクガク、心臓は破裂寸前。疲労により未来視はもうできたものではない。
 これが今の一茶の状態なのだが、それにもかかわらずなぜ彼の後方にいる少女は息一つ乱してないのだろう。
「というかそもそも、なんだってあんな格好をしているんだ?
 まともな思考だったらあんな格好恥ずかしくてやれないだろ」
 これ以上機嫌を損ねないように細心の注意を払って呟いた愚痴はしかしどうやら聞こえたらしい。
「これは、私の趣味じゃありません! 師匠命令でしょうがなく着せられているんです」
と少女は顔を赤くして一茶に向かって叫んだ。
 事態を悪化させてしまった気がする。望むことなら気のせいであってほしいなと思いながら一茶は尚も走り続けた。
 この状況を打開するためにはどうしたらいいのだろうか。
 風船でもあげたら機嫌直してくれるかな?
 いや、風船はないが、そんなことをしたらもっと怒らせるだけだ。いろいろな案を考えるが、どれもが小さい子供に対するあやし方ばかり。はっきり言ってまともなものは浮かんでこない。
 だいたいあれは本当に高校生だろうか。実は高校生と語った小学生とかと仕舞いには自分を追いかけてくる少女の外見に対しての疑問に代わっていってしまう。
 だが、処理能力の落ちた頭でそんな余分なことを考えていたのがいけなかったのだろうか。
 次の瞬間、彼の足はもつれ、盛大に前方にこける。
「スターライトアタック」
 その頭上を極彩色の光線が通り過ぎるのを見送ると、一茶は恐る恐る体をひるがえした。
 地面に寝そべるようにし目の前を見れば、そこには素敵過ぎる位に笑顔を浮かべた少女が立っている。
「ふふふっ、やっと追いつきました。
 ひどいですよ、人が一生懸命やっているのにそれをことごとく避けるなんて。
 あなたは後ろにも目が付いているんですか?」
 やさしい口調なのに冷や汗が流れるのはなぜだろう。
 一茶は顔を動かさないままこの窮地を脱するために何かないかあたりを探す。
 彼の視界は仮面によって三百六十度すべてを見渡せるようになっているのだが、悲しいかな救いになるようなものは何処にも存在しなかった。どこを見渡しても木々の群れである。
「それじゃあ、追いかけっこを終わらせましょうか。
 スターライトアタック」
 少女が勢い良く叫ぶと彼女が持っているステッキの先からは極彩色の光が生まれる。
 叫ぶ間も惜しむように一茶は地面を回転しながらそれを避け、勢いを付け立ち上がるが、
「逃げるなあ!」
 スターライトアタックの掛け声の下、そこには再び極彩色の光が迫ってきていた。
「イナバウアー」
 こんなことを言っていられるところ、実はまだ余裕なのかもしれない。
 とあるフィギアスケーターのごとく彼は背中を反らせ、胸の上を光線が通り過ぎるのを待つ。顔の上をすれすれに通り過ぎる光の束は皮膚で感じるところ確かに熱かった。
 光線が通り過ぎるのを確認し、体勢を戻そうと腹筋の力を込めるが、
「てやぁ」
 そこに少女は体当たりを敢行する。
 少女の体重はたいしたものではなかったはずだが、不安定な体勢と疲労のせいだろう。
 一茶はあえなく背中と頭を強打し星を見た。
 チカチカした視界の中にめいいっぱい映るのは少女の姿。彼女は一茶に馬乗りになり、その鼻先にステッキを突きつけている。
「スターライト…」
 とどめを刺す気は満々だ。
 狂気の色を瞳に浮かべながら彼女は一茶を抹殺するための呪文を唱え始めた。
 一茶は視線を逸らさない。いや、逸らせない。
 バキバキッ
 あんな光線をもろに食らったらどうなるのだろうか。熱いとか考えられないうちに蒸発しそうな気がする。恐怖に頬を引きつらせながら一茶は…
 ザワァ
 ベシッ
「きゅ〜」
…少女の頭に倒れて来た木がぶつかるのを見た。
「はい?」
 思わず疑問の声を上げてしまう。
 待て、取り敢えず落ち着け。自分は何を見たと目を閉じて考えた後、再び少女の方に目をやる。そこには倒木にぶつかって気絶し、自分の胸に倒れ掛かっている少女の姿があった。倒木の倒れてきた方を見れば半ば焼け焦げた木の根がある。
 そういうことか。
 一茶は納得した。林の中、光線をなりふりかまわず撃っていれば木に当たるのは当然だろう。
 ただしその木はちょうどいい具合に半分だけえぐられ、少しは立っている状態を保っていたものの、やがて重みに耐え切れず倒れだしたということだ。
 一茶の上に馬乗りになっている少女の頭に。
 一茶にとって幸いなのは自分は地面に寝転がった状態だったということだろう。
 それ故に彼は地面と木の間に出来た隙間でピンピンしていることが出来る。
「とりあえず、逃げようか?」
 自分に問いかけ、一茶は木の間から抜け出そうとするといきなり胸の上にいる少女の体が輝きだすのを見た。
「ちょ、ちょっと…」
 動揺し、声をあげ、少女を見ているとその輝きはやがて消える。
 光が消えた後、少女はまだそこに居たが、その服装は変わっていた。
 おそらく、少女が気を失ったことによって、装備が解除されたのだろう。
 だが、それより問題なのは少女の顔だ。おそらく服が消えたことによって意識阻害の魔術が切れたのだろう。先ほどまで認識できなかったはずの少女の顔がはっきりと分かる。
 しかし…
「遙…ちゃん?」
 その顔は一茶の知っているものであった。
 最近、通い付けている喫茶店のウエイトレスである。
「遙ちゃんって高校生だったの?」
 そうではない。どうやら驚きの余り、まともに思考が機能してないようだ。
「え、えーと…
 大丈夫?」
 まずやれることはとあわてて木の下から這い出し、膝を突いて少女を抱きかかえるが返事はない。気絶しているから当たり前だ。
「落ち着け、落ち着け、俺」
 自分を叱咤して一分。やっと彼女の怪我の具合を見るのが先決と気が付くと、一茶は遙の頭に手を這わした。
 大きなコブが出来ている。だが…
 特に顔色も悪くないし、一見すると大丈夫そうだ。
「で、どうしよう?」
 とりあえず安心し、ホッとしたのもつかの間。自分の今の状況を彼は思い出す。
 彼は曲がりなりにも犯罪者で今はライブで追われているところであった。
「けど…」
 一茶は自分の腕の中で気絶している少女を見る。その寝顔はあどけなく、場合が場合でなかったらひどく癒されていたであろう。この少女をこのままここに寝かせておくのは躊躇われる。
「なんで遙ちゃんなんだろうなぁ」
 本当に数奇なめぐりあわせだ。陰陽課の応援がたまたま通いつめていた喫茶店のウエイトレスだったとは。知り合いでなければこのまま寝かせていけるのに。
 事態としては一刻も早くここを離れるべきだろう。そして仲間がどうなったか確認するか逃
げるかしなければいけないはずだ。
 あの仮面騎士が来てからこちら側の旗色はかなり悪くなってしまっている。
 司令官ともいえる工藤はあっさり首をおとされ、最後に見た情報では鈴穂はかなり押されていた。
 一茶の心の中に二つの意見がうまれ綱引きをする。
 結局迷いを持ったまま動くことが出来ず、少女の寝顔を見つめ続けることになってしまっているが現状だ。
「んっ」
 それからどの位その状態でいただろう。
不意に見つめていた少女が少し身じろぎした。誰もが分かるような目覚めの兆候である。
安心する反面やばい状況だということも一茶は理解した。自分にとっては違うが、彼女にとって一茶は犯罪者で敵なのである。
目覚めた瞬間あの殺人光線を放たれたのではたまったものではない。
幸いステッキは彼女の服装が変化したときに消失してしまっているが安心は出来ない。
工藤が言うには彼女は魔術師のはずだ。
しかし彼女を地面に落とすわけにもいかず、そのまま抱きかかえていると彼女の目がゆっくりと開かれる。寝ぼけて焦点のあってなかった瞳はやがて一茶のことをしっかりと確認した。
「…」
「…」
 どちらとも何もしゃべらない。遙は呆然と一茶を見つめ、一茶はこの状況をどうすることも出来ずただ彼女を見つけ返すしかなかった。
 しかし、いつまでもそのままではいけないのは分かっている。
 一茶は覚悟を決めるとやがて口を開いた。
「お目覚めかな?」
 地の性格とはまったく違う気取った口調で一茶は遙に問いかける。
「頭を強打していたようなので心配になってみていた。悪意はない」
 緊張で多少早口になるのは仕方がないのだろう。
 普通の人間が生きていく中でこんな状況に陥ることはありはしないのだから。
 なんとか言葉を不自然に聞こえない程度に言い終えてみたものの彼女からの反応はなかった。
「…」
「…」
 再びの沈黙。時間が経つほどに一茶の焦りは深くなっていく。シャツの背中など汗でびっしりだ。
早くなんとか言ってくれ。一茶は心の中で切実に祈った。
「あの…」
 そしてその祈りが天に通じるのにかかった時間はたっぷりと五分だった。
 固まっていた彼女の表情は再び再起動しその唇からは声を出す。
「どうして私を放っていかなかったんですか」
 その言葉には暗にこれから私をどうするつもりなんですかという意味が込められていた。
彼女は一茶から視線を逸らさずじっと彼の動きを窺っている。
 だから一茶は彼女を安心させるように言葉を紡いだ。
「怪我したこど…
いや女性を放って置けるほど粗暴になったつもりはなくてね」
 あやうく子供といいそうになって一茶はそれを飲み込む。
 だが、そんなことはお見通しだったのだろう。彼女は半眼でこちらを見つめた。
 もっとも、見た目小学生の子供に睨まれたところで怖くは無い。
 先ほどの目の笑っていない笑顔は思わずごめんなさいと土下座したくなるくらい怖かったが。
「…なんか想像していた人と違いますね」
 やがて彼女は視線を緩めそう言った。
 警戒は解いてないが自分に危害を加える気がないと分かったようだ。少しだけ頬が緩む。
「だったら…
どうして、あなたはあんなことをしているんですか?」
 彼女は言葉を続ける。一茶の遙に対する対応が彼女の想像する犯罪者とかけ離れていたからこその疑問だった。
「…」
 一茶は返答につまった。
 部長の趣味ですとは口が裂けてもいえない。
 空を見上げ少し考えた後、一茶は再び遙を見つめる。
「もしも、最悪な未来が来るのが分かっていて君はそれを黙ってみてられるか?」
 出てきたのは最初に紡に渡された冊子に書いてある『設定』の言葉だ。
 しかし、実感のこもらないその言葉を遙は真面目に受け取ったらしい。
 彼女は神妙な顔をして一茶をみる。
「それは…」
 そして言葉を紡ぐのだが、しかしその言葉は半ばで途切れる。
 不振に思い彼女の視線を追えば、そこには新たな人影があった。
 月明かりに照らされてもなお真っ黒な印象を受けるその男は一茶の知っているものであった。
「聖なる瞳の観測者よ、こんなところに居たか」
 所属するサークルの部長であり、こんなことをする羽目になった原因でもある紡だ。
「え、なんでこんなところに」
「少々救援をな」
 彼はそれだけ言うと左手に抱えていたものを一茶の方に差し出す。
「ひっ」
 腕の中の少女が声を上げるのを一茶は聞いた。
 しかし、それも仕方がないだろう。紡が差し出したのは赤い少女の胴体部分。首を狩られた無残な少女の死体に見える人形なのだから。
 その断面から見える肉は余りにリアルで知っていても人形とは分からない。
「とりあえず陰陽課の者達はひいた。
 エデンの者達も今頃は本拠地にいるはずだ。お前はこれを持って先に戻っておいてくれ。
 ああ、それと今日、私は戻らないから勝手に解散してくれてかまわない。その前に…」
 彼はそこまで言い切ると一茶の胸の中にいる遙に目をやる。
 一茶と遙はそろって唾を飲み込んだ。立場は違えどその心は一つである。
 つまり遙、もしくは私はどうなるかだ。
 一茶にとって紡は意味不明の人物だ。性格はどうにか理解できるものの、その行動原理はまったくもって不明だ。
「観測者よ」
 次の一言に見当がつかず一茶の心臓はどんどん早くなる。
 遙もまた同様だった。目の前の人物がどういう人間か分からずに身を硬くして言葉を待つ。
「義務教育をおえる前の児童に手を出すのは犯罪だぞ」
『はっ?』
 声がハモった。
 その意味が分からず疑問の声を上げた後に、だんだん紡が一茶の遙を抱きかかえている状況を揶揄しているのを彼らは理解する。
「違います!」
「そうです。私は高校生です」
 それぞれ論点は違うが疑問を解こうと抗議するものの、紡は次の瞬間には闇に消えてなくなり、後には紅い少女の胴体だけがやがて残される。
「ちょ、ちょっと」
 非常に腹立たしい心のまま一茶はため息をつき彼女を地面に降ろした。
 彼女も同様で、ふくれっ面のまま紡の立っていた場所をしばらく睨むとやがて一茶と同じくため息をつく。
「聖なる瞳の観測者さんでしたね。私はもう帰ります」
 遙はそれだけ言うときびすを返し歩き出した。
「ああ、お元気で」
 一茶もそれだけ言って少女を見送る。彼女の後姿は、やがて夜の闇の中へと消えていった。
彼女の姿が完全に見えなくなったところで一茶は地面を見た。そこにあるのは紡に持ち帰れと言われた死体に見える人形だ。
若干の気持ち悪さを感じながら彼はそれを抱きかかえる。
 その人形にはほんの少し温もりがあり、それが余計に一茶の気分をよりいっそう悪くした。
 今回は人形の体である工藤であるから無事なのだ。
 もしこれが一茶や他の者達だったらどうなっていただろう。人狼や人魚は首を切られても生きて入れるだろうか。
 思った以上に死はすぐそこにある。一茶は今まで見ようとしなかった事実を突きつけられたかのような気がした。
 そして、一茶はついに吐き気を堪え切れずその場で吐いた。

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