第七章 疑念と真意
一茶が部室に戻るとそこには紡を除く部員が全員いた。彼らの表情は暗かったが、一茶が姿を現すとその影もすっと消える。おそらく、いつまで経っても帰ってこない一茶のことを心配していたのだろう。
「よかった。戻ってきて。怪我をしているのか?」
「いえ、大丈夫です。自分自身には怪我はありませんから」
問いかけてくる大牙に一茶は答える。服が少し赤くなっているのは脇に抱えている少女の人形のせいだ。一茶の体には怪我一つない。
「工藤さん。これどうしましょう」
一茶は少女の人形の置き場を躊躇し問いかける。彼は紅い少女の人形が壊れたせいもあって今は日常で使っている大柄な男の人形の中に入っていた。
「そうだな、床が汚れないようにしたいがブルーシートはないしな。
そこの隅にでも置くしかないだろう」
一茶はそう言われ、少女の人形を部室の入り口横に置く。赤い液体がこれ以上出ないように首の断面を上にしてきちんと座らせようとするが、それが必要のないことだとすぐに気がついた。人形の首の断面の液体は本物の血のようにすでに固まっており新たに穴を開けなければ流れ出すことはないだろう。
ここまで本物のように造らなくて良いのに…
明るいところで見てもやはり本物のようにしか見えない人形を見ながら一茶は心の中でぼやいた。それを皮切りに不満はどんどんあふれだしていく。
なぜ自分がこんなところにいるのか。
なぜ自分が行政とことを構えなければいけないのか。
なぜ自分が死にそうな目にあわなければいけないのか。
心の奥が黒く染まり、目からは涙が出そうになる。
「おい、一茶?」
人形を見つめたまま動かない後輩を心配して大牙は声をかけた。
その言葉に一茶ははっとしてふり返る。
「一茶、どうした」
「いえ…」
一茶は何かをためらうかのように躊躇する。
しかし、彼はやがて意を決したように口を開いた。
「大牙さん…」
「なんだ」
「いつまでこんなことを続けなければいけないんですか」
その声色は表面上無機質に聞こえるが、その奥には激情が見えた。
「それは…」
大牙は言葉を詰まらせる。きっと誰に聞いても言葉を詰まらせただろう。
皆、答えが分からないのだから。
「今日、工藤さんの首が落ちました。
幸い工藤さんだったから生きていますが、俺だったら生きていません」
しかし、一茶は別に答えなんて求めていなかったのだろう。答えが返ってこないことぐらい一茶はとっくに分かっていた。だから一茶は大牙の言葉を待たずに喋りつづける。
「相手も本腰をいれてきました。俺は死にたくない。
今日の応援の一人は俺の知り合いだった。人を傷つけるのは好きでないし、知り合いと殺し合いだってまっぴらだ」
敬語なんてものは頭の中になかった。ただ自分を不満だけを言葉にしている。
大牙は悪くない。分かっているのに彼は大牙に不満をぶつけ続ける。
「俺の思い描いてたのは、せっかく勉強したのに、大学に入ったのに、それなのに。
どうして…」
言葉はもうむちゃくちゃだ。一茶自身も何を言っているのか分からないまま続ける。
「もうまっぴらごめんだ。
俺は、俺は…」
言葉はやがて収束し、所々おえつが混じる。仮面の隙間からは滴がこぼれ落ち、握りしめた拳は小刻みに揺れている。
一茶は泣いていた。
恥も外聞もなく、いい年をして泣いていた。それが情けなくてよりいっそう涙は出てくる。
大牙はそんな一茶を子供をあやすように抱きしめ背中を叩いてやる。銀色のふかふかの体毛はひどく暖かくて一茶はなんだが安心した。大牙には悪いが、昔飼っていた愛犬のタロスケを思いだす。タロスケはもう三年も前に死んでしまったのだが、子供の頃は何かを失敗して落ち込んだ時にタロスケを抱きしめていたようなきがする。
そしてどのくらいその状態でいたのだろう。
一茶のおえつはやがてちいさくなり、床に新たな滴も落ちなくなった。
「工藤さん。俺、今回は部長についていけません」
大牙は最後に一茶の背中をポンポンと軽く叩くと彼から離れ工藤に言う。
「今の部長はなんかおかしいです。
これまでも色々無茶をしましたが、それでも楽しかった。
けど今回は犯罪までして、させられて…」
大牙の言葉をつぐように鈴穂も口を開いた。
「私も今回の部長はおかしいと思うわ。
今までもあの人が何を考えているか分からなかったけど、今回は極めつけよ」
「あたしも、もう嫌です」
そう言った恭子の目は赤くなっていた。先程一茶が泣いた時にもらい泣きでもしたのだろうか。
部員四人の視線が副部長である工藤に刺さる。
工藤は皆の意見を吟味するかのように目を瞑って聞いていた。
やがて彼は目をゆっくりと開くと口をあける。
「少し待ってくれないか」
出てきた言葉は期待したものとは違うものだった。他のもの達は何でですかといっせいに工藤を非難する。それを遮るように彼は声を大にして言う。
「俺は、今回のあいつの行動には重大な意味があると思っている」
「いったいどんな」
そう言った大牙の瞳は鋭かった。そこらのチンピラでは出せないような剣呑な雰囲気。しかし工藤はそれをものともせずに静かに答える。
「今のところ確証があるわけではない。それに気がついたのもついさっきだ。
だが、あいつはただ考えなしにやっているのではない。
奴が戻ってきたら問い詰めるつもりだ。
一茶、あいつから何か聞いていないか?」
「…今日は帰ってこないそうです。
各自各々自由に帰れって言ってました」
一茶はお世辞にも機嫌がいいとは言えない口調で答えると工藤は短く「そうか…」とだけ言葉を返した。
「工藤さん。もったいつけてないで教えてくれないかしら」
「そうだな、裏づけ後で手伝ってくれ。あいつはたぶん…」
鈴穂はいらついているのか、尖った口調で工藤に言う。
工藤はそれに対して自分の仮説を話し始めた。
悪魔というものがいる。
外見は宗教画とかに描かれてるいものを思い描いてくれれば構わないだろう。
しかしその本質は聖書などに書かれているものとは全く違っていた。
彼らは神に背いた天使などというものでない。簡単に言えば彼らは一つの魔術であった。
世界にあふれている目に見えない『力』を意志の力によって自分の求める現象を起こすのが魔術であるのだが、悪魔は人々が心の中で思っている悪魔の像が世界にあふれている目に見えない力に干渉し形になったものである。
なまじ宗教などというものがあるために皆の思い描く悪魔が重なりその現象を起こしてしまう現象であった。それらは形をなすと人々の考えの通りに悪行を行い、各国の陰陽課のような退魔機関を困らせているのである。
悪魔の出現率は治安の悪い国ほど多い。それは治安が悪い国はより一層信仰心が高いためだとか、人々の荒んだ心に汚染された『力』が悪魔を生み出しやすくされていると言われているが本当のところはあまり分かっていない。
今ではそのどちらの説も本当というのが、つまり二つの原因が、折り重なっているというのが通説になっている。
「工藤さん。これを」
場所は工藤の実家、大学から徒歩二十分の場所に彼らエデンの戦士達は集まっていた。
大牙は工藤に数枚のプリントアウトされた紙を渡す。
「工藤さんの予想した通り、ここ最近の悪魔の発生率は減っています」
そこに書かれているのはインターネットで調べた資料。火のない所に煙は立たない。ここ一週間の間の各掲示板での悪魔の目撃情報の統計である。
ここ近年この国では、とくに半年ほど前から悪魔の出現率は圧倒的に増加した。最近、世間を騒がしている不審者騒ぎの原因はこれだ。それは裏で魔術師や人外相手に公表されている陰陽課の月間で公表されている悪魔情報でも確認が取れる。
しかしだ。それが一週間ほど前程から半分から三分の一にまで減少していた。
これは明らかな異常である。もっとも幸い良い方の異常であるが…
大牙が「そっちはどうですか」ときけば工藤は「こっちも確認が取れた」と答える。
工藤が指さす先にあるのは彼がここ最近の部活で紡から入る事を義務づけられた紅い少女の人形だ。
「予想した通り、あれには例の装置がついていた」
例の装置とは負感情マナ吸引装置と呼ばれる負の感情に汚染された『力』を吸引し、それを原動力と変換するもので理論すら完成されていない魔術装置のオーバーテクノロジーである。
おそらく他の部員の衣装にもそれらは積まれているだろうが、こんなものを何処からと言いたくなる。
まあ、それも部長だから、紡だからで納得できそうなのが彼のすごいところなのだが。
もっとも、この装置のすごさが本当のところで分かっているのは魔術師である工藤だけだ。
他の者は「そんな装置もあるんだ」というところか。
「でも、どうしてこんな悪の秘密結社なんてものやらなくちゃいけなかったんですか?」
当然の疑問を一茶は口にした。そんな装置がどういうものかというのは大まかにしか分からないがこの行為は意味の無いように思える。その装置をつけて自分達が悪として振舞うより街中に大量に設置したほうが十分効果があるだろう。
「たぶん、装置の数が足りないからだろうな」
「足りないからって悪の秘密結社なんていう行動は関係無いんじゃないですか?」
「いや、これがそうもいかない。
この装置はどんな原理で動いているのか分からないが、その能力には当然限界がある。
一茶、部長の目的はおそらくなんだ?」
「工藤さんの言った通りなら、近年増加した悪魔の発生率の減少です」
「その悪魔がなにから生まれるかは言ったな。
その大半は悪意に汚染された『力』だ。無色の『力』は色をもとうとする。それが人の悪意に染まってしまったものから悪魔は生まれる。しかし、色をもった『力』がずっとそこで停滞していると思うか?
悪意に染まった力は当然その悪意をもたれた人間の方へと流れていく」
「つまり、あえて悪意の対象になることによって装置の効率を上げようと?」
「そのとおりだ」と一茶の言葉に工藤は大きく肯いた。
「数が足りないのならそうしたほうが良いだろう。
人々の不満を俺たちへの悪意に刷りかえれば効率的な作戦といえる。
作戦の穴としては俺たちのことを知っているのがごく一部だということか…」
「そのことだけど…」
そこへ丁度部屋にはいってきた鈴穂が口を挟んだ。
「さっき、ネット上のニュースで見たけど、公に私達のことが書かれてたわよ。
宗教色のつよいテロ組織集団が日本に入国したって形で」
これ以上極秘でエデンのことを調べるのは無理だと行政は判断したのか、次からは公に情報を集めることにしたらしい。
この街で不振な人物を見たら警察をすぐ呼ぶようにまで言っているらしい。
「さすが部長だね。すべて計画通りって」
大牙はちゃかしたそうに言った。しかし、その奥にはそのことを自分達に黙っていたことへの皮肉がおおいに見える。
「まったくね。
少しでも真意を話してくれれば喜んで協力したのに」
鈴穂もそれに同意し、不機嫌そうに髪をいじくっていた。
「そうだな、俺も真意がそれならよろこんで協力するつもりだ。
しかしこれは危険なことだ。望まない奴に手伝いなんてさせたくない。
一茶と…あいつどこ行った?」
大牙と鈴穂は紡に協力するらしい。他の二人はどうするのかを聞こうとして工藤は恭子がいないことに気付いた。そこに鈴穂が「恭子ちゃんならおねむ」と答える。彼女が今まで姿を見せなかったのは眠ってしまった恭子を適当な場所に連れて行っていたのであろう。
「そうか、あいつは後で聞けばいいだろう。それで一茶はどうする」
そう言われて一茶は迷った。
確かに紡のやっていることはある意味正しいことなのだろう。意味は若干違うが必要悪とでもいえるかもしれない。
しかし、思うのだ。自分にそんな力があるのだろうかと。
確かに彼には未来視という特殊能力があるがそれだって他の人外の二人と工藤に比べれば天と地ほどの力の差があることは昨日の戦いで嫌でも分かっている。一茶だって命は惜しい。こんなことを続けていたら、そう遠くない未来において取り返しの付かない事態が待っているのは想像に難くない。それ故に工藤は一茶に答えを聞いたのであろう。
「少し、時間をください」
さんざん迷った結果、その時の一茶にはそう応えることしか出来なかった。