その日、元SSW司令官、ロイド=F=グリーンヒルは朝から落ち着きが無かった。
 時計を五分もたたないうちにチラチラ見たり、時間を潰そうと読んでいる本は読んでから一時間も経っているのに、数ページしか進んでいない。これで足を負傷していなかったら、それこそウロウロと室内を歩き回っていたであろう。彼は自分の右足を見る。そこには折れた足にグルグルと巻かれた包帯と添え木があった。
 つい先日のことだ。彼は雨漏りを直そうと屋根に上ったときに足を滑らせて落ちたのである。いや、ただそれだけでは、魔法界にその名をとどろかせた彼がこんな風な失態を犯さなかったであろう。そもそもの原因は確かに屋根から滑り落ちたことだが、いくつもの悪条件が重なった故にこのように負傷を負ってしまったのである。
 まず、第一にその日は朝から体調が悪かった。前日の雨のせいである。雨漏りをしている室内はお世辞にも環境的には良いとは言えず、風邪をひいてしまったのである。後から計ってみると熱が38℃以上もあった。
 次に落下地点にキツネが座り込んでいた。なんでこんなところにとは思ったが、戦場を離れて早六年、鈍った体を総動員して、回避を実施し落下地点を調整する。しかし、結果はこの様である。
 足に覚える痛みに骨折と判断。全治二ヶ月といったところか。治療魔法でも使えたのなら、もっと直りは早いだろうが、如何せん彼はその手の魔法は苦手で修めていなかった。出来たのはせいぜい足が動かないように固定するだけである。
 医者へは行かなかった。医者嫌いとは言わないが、医者のいる村までは健常な時にでも一時間以上かかるのだ。放っておけば直るのだし、わざわざ折れた足で行くことは無いと思ったのである。
 はじめの数日はぎこちなかったが、折れた足での生活にもなれた。これなら、遠方から来る友人をもてなすことも出来るだろう。
 そう思いながら、彼は再び柱時計を見る。さっき見たときより三分ほどしか進んでいなかった。
 年甲斐も無いなと彼は苦笑する。これから起こることが楽しみで仕方が無く、遠足前の子供のように昨日はよく眠れなかった。しかし、わざわざ日本という遠い異国から年下の友人が訪ねてくるのだ。気分が落ち着かなくても誰が文句を言えようかと彼は自分に言い聞かせた。


健介君は一般生徒です。 外伝 遠い異国の地にて(前編)


 始まりは商店街での福引だった。
「一等、北欧、五泊六日のフィンランドペア旅行!」
 カラーンカラーンと景気良くならされる金の音とともに叫ばれる声。その声を聞きながら俺は呆けた顔をしていた。
 一等? 誰が?
 目を擦りながら、目の前に見える玉の色を確認する。
 金色だった。それは見間違えようも無いくらいの。つまりは一等を当てたのは自分だ。
 そして、その色を確認するとともに浮き上がってくるのは喜びである。
「うおおおお」
 思わず雄たけびを上げてガッツポーズをとった。
 頭の中に浮かび上がるのは、もちろん真由美さんとの楽しい旅行風景。
 確か、真由美さんは二週間後から長い休みに入れると言っていた筈である。
 これは、もう誘うしかないだろう。
 このとき俺は浮かれていた。ただし、次の言葉を聞くまでだが。
「おめでとうございます。こちらが商品となっております。
 必ず三日後にお使いください」
 ご祝儀袋と一緒に言葉を送られる言葉、しかしその言葉はどこかおかしい。
「三日後?」
「ええ、三日後」
 どうやら聞き間違えではないようだ。
 もちろん、旅行会社の関係上で旅行券に有効期限があることはめずらしくはない。
 しかし、三日後に指定とはどのような用件であろうか? 日付が決まっているのは明らかにおかしい。
「はっはっは、君の疑問はもっともだ。
 しかし、よく考えて欲しい。うちみたいな小さな商店街にそんな海外旅行なんていう商品がそう易々と 準備できると思っているかい」
 そのことを聞いてみるとおじさんは笑い声を上げながら陽気に答える。
 たしかに、商店街の財力から行くと、海外旅行は明らかに豪華な賞品だ。だが、それと日付が決まっているのは、合点がいかない。
「実は、その旅行には田中さんとこの爺さんと婆さんがいくはずだったんだが、爺さんの体調が優れなくて取りやめになったんだ。
 しかし、せっかくだからと商店街の商品に組み込まれたというわけだ」
 なるほど、そういうことかと理解はする。しかし、納得できるかと言われればNOである。
 その日にはずせない用事とかがあったら、もらった奴はどうしろというのだ。
 そもそも、パスポートの申請にすら時間がかかるから、当たっても使える人を選びすぎていると思う。
 しかし、もともとただで貰ったもの、文句はいえない。どこか釈然としない気持ちを抱えながら、俺は家へと帰っていった。


「ただいま」と声をあげ居間へ入れば、そこには母さんと妹の瑞樹がいた。
「おかえり、お使いご苦労様」
「兄貴、それなに?」
 母さんが炎天下の中歩いてきた俺を労ってくれるのに対して、瑞樹は挨拶もなく一言目が質問である。瑞樹の目は興味津々と言った様子で俺が持っている一等と書かれたご祝儀袋に注がれていた。兄の威厳がないのがすぐ分かる情景だ。十年前は何かにつけて後ろを付いてきた気がするのだが、今はそんなことが嘘のようである。これが時の流れかと、なんだが複雑な気持ちを抱きながら俺は瑞樹の質問に答えた。
「商店街であたった、一等フィンランド旅行」
 その言葉に居間は一瞬、静寂に包まれるが、
「すごいじゃない。よかったわねぇ」
「海外旅行〜♪」
 すぐに歓声につつまれた。
 まあ、海外旅行が当たったことに対する反応としてはありふれたものであるが、こんな風に喜ばれると、次の一言がものすごく言い辛い。
「……出発は、三日後に固定されているけど」
 だが、伝えない訳にもいかず、しょうがなくその言葉を口にした。
 その一言に、訳が分からないといった様子でキョトンとするギャラリー達。君達の気持ちはよく分かる。俺もこの言葉を聞いたとき、そう思ったさ。どういうことだと。
「あー、兄貴?」
 恐る恐るといった感じで右手を上げる瑞樹。
「冗談?」
「残念ながら、本気だ」
「はぁ? どういうこと?」
 それが当然の反応だよな。俺は商店街のおじさんから聞いた話を瑞樹にも伝えるが、こいつはそんなことでは納得できないことだろう。事実、話をした後に納得いかないと瑞樹は声を上げる。
「つーか、それもうどっちかと言えば、はずれなんじゃない?」
「まだティッシュよりはいいだろうが!」
「でも、それじゃあ、みんなで行けないじゃない。
 まだ、時間があればそれにあわせてもう一組旅行を手配できたのに」
「うっさい、どちらかと言えば、俺は真由美さんと一緒にいきたかっただよ!」
「自分だけ幸せだったらいいの?
 うっわー最悪」
「最悪、最悪といいやがりますか?
 この……」
 ガサツ女がと続けようとするが、それは母さんの言葉にさえぎられた。
「ハイハイ、静かにして。
 まあ、いいじゃない。どうせただで貰ったものなんだから。
 健介も瑞樹も喧嘩しないの」
 その言葉に俺達は黙り込む。
 確かに、こんなただで貰ったもので喧嘩するのは馬鹿らしい。
「その旅行、健介と瑞樹とで行ってきたら?
 その間、私はお父さんと二人っきりで過ごせるし、一石二鳥よ。
 それにほら、フィンランドと言えば、ロイドさんだっけ? 今住んでいるんでしょ?
 ついでに会いに行けばいいじゃない」
 ああ、そういえば、母さんに言われるまで気付かなかったが、フィンランドといえば、ロイドおじさんは今住んでいるって言ってたっけ。自分で母さんにロイドおじさんに麻帆良で会ったことを伝えておきながら、忘れていたのは少しバツが悪い思いをしたが、ロイドおじさんに会うのもいいかもしれない。そうだねと俺は頷いた。瑞樹の奴のほうも、機嫌は直ってないが、それでいいようだ。口を不機嫌に尖らせながらも、頷いた。
「さあ、それじゃあ、準備をしなくちゃね。
 パスポートは何処にしまったかしら?
 あと、ロイドさんへのお土産も用意しなくちゃね。健介、ちゃんとロイドさんに会いに行くって伝えとくのよ」
 母さんはそういいながら、居間をでていった。
 こうして、俺達のフィンランド旅行は決まったわけなのだが、この時俺はこの後の展開を予想だにしていなかった。

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