健介君は一般生徒です。外伝 メールを送るときは、ちゃんと内容を確かめましょう。

 その部屋では四十を過ぎた一人の西洋人男性が慌しく、動き回っていた。その手は次々と戸棚の取っ手を引き、中をひっくり返している。何かを探しているであろうことは理解できるが、その手つきは荒々しく、後片付けのことを考えると決して効率のいいものではないだろう。
 ロイド=F=ローゼンヒル。
 これが、この西洋人男性の名前であるが、この名前を知るものにとって、それを今の彼と結び付けることはフェルマーの最終定理を証明するよりも難しいことであろう。なぜならその名前を知るものにとって、それは冷静沈着な理想的な指揮官の代名詞であるからだ。
 彼、ロイドは数年前までSSWという名前の機関で働いていた魔法使いである。腕もさることながら、その指揮は他に追従するものがいないとも言われたくらいの人物だ。
 そんな彼が慌てふためき、部屋をひっくり返している様を想像できる人間はどこにも居ないであろう。
 だが、それも仕方のないこと。彼はありえないようなポカミスを犯してしまったのだから。
 現代では魔法というものは小説の中にしか存在しないということになっている。それは数百年をかけて行われた印象操作、神秘の秘匿による賜物である。その数百年の先人達の努力を無駄にしないためにも、魔法を知らないものに魔法を教えることは重大な犯罪として認識されており、もしそれを知られた場合には何かしらの対処をすることを求められるのが普通だ。
 それをこの伝説とまで言われる男は酒に酔っていたとはいえ、その魔法の存在を知られるようなヘマをしてしまったのだ。
 具体的に言うと、魔法のまの字も知らない兄妹を魔法の世界へと送り出してしまったのである。
 どう言い訳しても取り繕えないような失態。酔いからさめた後、当然彼はその失態を償うべく動いた。だが、時はすでに遅し、彼ら兄妹はイギリスのゲートを通り、異世界へと旅立っていた。
 しかし、それだけならば彼もこんなに慌てなかっただろう。問題はその後。定期的に朗読している魔法関連の新聞で、彼は魔法世界とこちらの世界を繋ぐゲートがテロにあい、ゲートに使われている魔力が暴走していることを知る。ゲートの回復には数年ではすまない時間がかかるということが彼の心をここまで焦らせた。
 幸いにもゲートは瀕死の状態ながらまだ生きていた。後少しくらいなら人の行き来は可能であろう。だが、そこまでいける手段を今の彼には用意することが出来なかった。一番近くのゲート。イギリスまでの飛行機はすべて予約で埋っていたのだ。それに加えて、彼は先日足に怪我を負い、まともに動けるような状態ではなかったのだ。
 そこで彼は考えた。魔法世界にいる兄妹の安全をどのようにしたら守れるのかを。一番いいのは彼がその場に向かい、彼らを保護することだが、それはできない。ならば、誰か信頼の置ける人物に保護を頼むしかないだろう。候補はいくつか頭に浮かぶ、問題はどのようにして連絡を取るかということだ。
 これほどの大事件。通常の連絡手段でははじかれることは必須だろう。
 彼の頭に浮かぶのは現役時代に使用していた連絡方法。特殊な手紙を用いた緊急連絡の方法だった。あれならばこのような緊急事態でもちゃんと届くだろう。
 私用なことにこの方法を用いることは憚れたのだが、背に腹は変えられないと彼は現役時代に使用していたその手紙の残りを探して、部屋をひっくり返していたのである。
 数多の引き出しを放り投げて数時間。彼はやっとの事で目的のブツを見つける。彼が取り出すのは無記入の封筒。だが、それは外見だけであり、魔法的に見ればその封筒にはメセンブリーナ連合の印が刻まれていた。
 彼はすぐに無記入の封筒の中から紙を取り出す。そのぺらぺらの紙の右下にはまるでビデオの操作ボタンのようなマークが並んでいる。これが一般的に魔法使いが使用している手紙だ。右下にビデオの操作ボタンのようなマークが並んでいるのは当然のことで、これはこの手紙自身がビデオメールのような昨日を持っているからである。
 彼は即座に録画のボタンを押し、手紙に向かって話し始めた。


 その日、メセンブリーナ連合の議員、アイザック=アンペールは秘書から一通の緊急用の手紙を受け取った。これ自体はさして珍しいことではない。政治家である以上、緊急の事態などというものは頼んでも居ないのにやってくるものだ。しかも、今は数日前にテロが起きたばかりだ、何か即座に彼が知って判断しないといけないこともあるだろう。
 だが、その差出人の名前を見て、彼はしばし硬直することとなる。
 その名前の人物から自分にこのような手紙が送られてくることはもうないと考えていたからである。
 彼は自分の手が緊張で震えそうになるのを感じながら、その封筒の封を切り、中の手紙を取り出した。
 再生のボタンを押すと手紙の上に一人の男性の姿が浮かび上がった。
 すべてを見通すかのような鋭い目にむっつりと紡がれた口元。多少老いてはいたが、その姿は彼の記憶にあるものとあまり変わっていなかった。
 手紙に浮かび上がった人物、ロイドとアイザックとの関係を一言で表すと『盟友』という言葉が一番しっくり来るだろうか。いや、今は『盟友だった』と言う方が適切なのかも知れない。
 かつてロイドとアイザックは諜報機関の人間と議員、戦場と議会という差はあったが、共にメセンブリーナ連合、ひいては世界の平和のために共闘した仲であった。それが壊れたのは六年前のことだ。
 SSWがロイドを残して壊滅した。
 突然の悲報を受け、病院に駆けつけた彼が見たのは抜け殻のようにベッドに横たわるロイドの姿だった。
「ロイド」と彼の名前を呼ぶアイザックに何処とも焦点が合っていない目をロイドはゆっくりと向けた。
 その姿を見て初めてアイザックは、先ほど受けた報告が本当であることを実感した。そして彼の口から出てきたのは現役を引くと言う言葉。光を一切失ったその瞳に飲まれて、アイザックは何も言うことが出来なかった。
 それからロイドとは一切連絡を取っていない。その彼が緊急用の封筒を使ってまで、彼に何を伝えようとしているのだろうか。
 アイザックは自分の心臓の鼓動が高まっていくことを感じた。
『突然、このような手紙を出さ-ザザ-驚いただろう。
 使命を捨てた私がこのよう……とを言うのもおこがましいと思うが、一つ頼みを聞い-ザザ-しい』
 手紙の上に立っているロイドの映像がゆっくりと口を開く。しかし、手紙が古いためか、所々ノイズが入った。
『先日、私はそ-ザザ-二人の兄妹を送った。
 名前はケンスケとミズキ。その-ザザ-を頼みたい』
 そのため、お世辞にもその声は聞き取りやすいとはいえない。特に動詞にノイズが被っているところは何を言いたいのかがよく分からなかった。その兄弟をどうすればいいのか。彼はしばし考えるが、話の流れから判断しようと続きを聞くことに集中する。そして、それによって、彼は驚愕した。
『兄弟の-ザザ-徴は十代半ばの東洋人。
 兄に-ザザ-には私の銃を持たしている』
 私の銃を持っている。その言葉を何度も彼は反芻する。そして、その言葉の意味を噛み締めながら彼は震えていた。
 それは純粋な喜びからだ。彼が引退を宣言したとき、伝説とまで言われたSSWはなくなるものだと考えていた。仕方がないと思いながらも、そこに虚無感がなかったといえば嘘だ。
『資金は蔵に残っていたらそれを使ってくれ』
 蔵とはSSWが溜め込んでいた公的な資金とは別の独自の資金プールのこと。自分の采配で自由に使える現金が欲しいとロイドがその晴眼で買った株式の配当金によって得られた利益によって作られた資金プールのことだ。彼の目は正しく、その株式会社は急成長をし、今や魔法界でも五本の指に入る会社となっていた。
 彼が引退する際、それをアイザックは自由に使ってくれとロイドより渡されていたが、アイザックはないと分かりながらもこの日のことを夢見て、それに手をつけることが出来なかった。
 だが、それも無駄ではなかったとアイザックはこのとき確信した。そしてすぐにその二人の兄妹を探すために手配を行った。


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