ヘイ、ブラザー久しぶりだな。
元気か?
俺のほうはさっきまで元気だったさ。
突然だが、俺は今リングの上にいる。
リングと言っても『来る、きっと来る』などといったようなホラー映画では断じてない。正真正銘の格闘をする方のリングだ。
マジで帰りたい。帰りたいのだが……
しかし、帰ることは許されないだろう。
なにせ、真由美さんが俺の雄姿を見ているのだから。
健介君は一般生徒です。第九話
ことの起こりは一時間前のことだ。
真由美さんとデート中だった俺のところに一つの電話がかかってきた。
デート中にかかってくる無粋な電話を初めは俺も無視していたのだが、一向にとまることのないコールにいらだちながら俺は出ることにした。
ポケットから取り出した携帯電話の画面に表示されている名前は山下慶一というクラスメートの名前だ。
なにか、クラスの方であったのかと思い受話器を耳に当てれば、聞こえてくるのは切羽詰った声だった。
「おい、どうしたんだ?
そんなに慌てて」
「おい、健介。今お前は何処にいる?」
「今は… 龍宮神社の近くにいるけど…」
「頼みがある!」
俺が答えるか答えないかのすれすれ、龍宮神社の龍宮を言った時点でそいつはそう言った。
受話器から聞こえる大音量に顔をしかめながらも「どうしたんだ」ともう一度聞いてみる。
「ああ、すまない。
実は龍宮神社で格闘大会があるんだが、どうにも受付に間に合いそうにない。
代返を頼まれてくれないか?」
そいつの言葉に俺はしばしながら考えた。今は楽しいデート中。本当はそんな所に行きたくはない。
俺の鍛え上げられた(特に最近)勘がそこに行くときっと厄介なことになるぞと告げているからだ。
しかし、そいつには普段世話になっているからな……
慶一は格闘大好き人間の癖に、なぜか成績がいい。
テスト前など親切に教えてくれるし、その借りをここで返すのも悪くないだろう。
そして、俺は真由美さんに断わって龍宮神社へと向かいだしたのだが、先人の人は偉大な言葉を残したものだ。
すなわち、後悔先に立たずと 神社に着いた俺を迎えたのは大量の人間だった。
俺は受付のねえちゃんからクジをひくと、会場内に入る。
あいつはまだだろうか?
そう思って会場で真由美さんと談話すること十数分。
しかし、俺の望みもむなしく、どうやらタイムオーバーになってしまったみたいだ。
主催者の人の挨拶も終わり、俺はスタッフの人に舞台に上がってくれと声がかけられる。
残念。あいつは間に合わなかったようだ。
ため息と共に会場から出ようとするが、そこで俺は真由美さんに止められてしまった。
「何処に、行くんですか?
始まってしまいますよ」
なあ、諸君。真由美さんはなんでこんな聞き方をするんだろうか。
これでは俺が大会に出るみたいではないか。
「なーんて。ふふ、分かってますよ。
はい」
そう思っている内に何が分かっているのか、真由美さんは俺に一枚の布を渡す。
真っ白なその布は一つの汚れもなく、まるで真由美さんの心を現したかのようだ。
現したかのようなのだが、これは一体なんでしょうか?
「これを使って、顔を隠してください。
でもダメですよ。顔を隠すものを忘れるなんて。
顔を知られることは命取りになるんですから」
どうして、顔を隠さないといけないのか分からないし、またなぜ、命取りになるのかは知らないのかがまったく持って分からない。
しかし、俺には真由美さんの行為を無下に断わることはできないのも確かだ。
「男って、つくづく馬鹿ないきものなんだな…」
実感をもって、俺はしみじみ呟くと俺はすばやく顔に白い布を巻くと、顔だけ見れば弁慶のような姿でリングに上がることとなった。
この時、俺は本当にやけになっていたのかもしれない。いや、やけになろうとしていた。
しかし、自己暗示と自己催眠を駆使して、何とか奮い立とうとするものの、目の前にいる奴らはすばらしくでかい奴らだ。
なあ、俺は本当に一体全体どうしてこんな所にいるのだろう。
自分自身に問うものの、答えなど毛頭出るはずもなく。
俺は現実逃避のために別のリングへと目を移し……人が宙に舞っているのを目撃した。
あはは、人って空を飛べるんだ。
などと笑っている暇などない。もし俺が観客ならそれも許されただろう。
だが、しかし、俺は今リング上にいるのだ。
今しがた吹き飛ばされた男と、俺を見比べてみる。
なんだが、体格差がイルカとクジラくらいに違うのではなかろうか?
冗談ではない。
物理の初歩を知っている人は知っていると思うが、運動量は質量×速さで表される。
言い換えるならば、体重が軽いほうが、同じ衝撃を受けたときに吹き飛ぶ速さは早いわけだ。
あんな巨人が吹き飛ばされる速さの攻撃を食らって、果たして俺はどのようなスピードで地面に叩きつけられるのだろうか?
考えただけでも恐ろしい。
しかし、後を振り返れば、真由美さんがこちらに向かって手を振っている。
さあ、俺はどうやって生き残ればいい?
考える暇もなく試合開始の合図がかかる。目の前で始まるのは壮絶な殴り合い。
はっきり言って、その光景はひどく恐ろしい。
いつ襲い来る拳に怯えながらも、俺はそこではっと気付いた。
我ながら馬鹿な考えだったと思う。
しかし、俺はこの時恐怖のあまり、こう考えてしまったのだ。
そうだ、見つからなければ殴られないじゃんと。
人は人を殴る時に相手がいなければ殴れない。
これは当たり前のことだ。ならば、気配をけして、相手から身を隠すんだと本気で思った俺を誰が攻められようか?
気配の消し方なんぞという物なついぞ会得した覚えはないが、俺はこの時必死で気配を消そうとしていた。
「ほう、あれは…」
その事実に気付いたとき、僕、タカミチ・T・高畑は驚きの声を上げた。
他の会場のもの達は気付いていない。それどころか、隣にいるエヴァですら、ネギ君のことが気になってか、その事実に気付いていなかった。
僕の視線の先にいるのは覆面をかぶった一人の青年。
彼は拳を振るっている訳でもなければ、華麗な技を決めているわけでもない。
ただ、そこに立っているだけだ。それ故にそれはおかしなことだった。
彼のいるリングの上では闘いが始まっている。しかし、彼一人は動いていない。
彼を覆っている気配は異常なほど普通で、異常なほどおかしかった。
完全に消えているわけでもなければ、存在をアピールしているわけでもない。
ただ、素人が必死になって気配を隠そうとしているかのようなものだ。
それ故に、その青年は無傷でいるのだろう。
高まった闘気の中で一つだけ気配が消えていれば、それは白い紙の上に一つの点を書くかのように違和感を人に与えるであろう。
逆に、他の選手と同じように闘気を放っていれば、敵と認識されたかもしれない。
しかし、青年が持つその気配は戦場につれてこられた一般人のように微弱で、誇り高き格闘家達の目には映らないものだった。
初めは本当に素人が誤って大会に出場してしまい、怪我をしないように必死で身を潜めているのではないかと思ったが、どうやら違うようだ。
覆面の隙間から覗くその瞳は閉じられており、まるで悟りを開いた坊主のようなのだから。
しかし、なんという気配のコントロールだろうか。僕にでもあんな気配の微調整はできるものではない。
恐らくはスパイなどの隠密行動に優れたものなのだろう。
ひょっとしたら、彼は学園長が超を警戒して密かに送りこんだものなのだろうか?
そう思うものの、その人物に対して僕は心あたりはない。
「警戒するべきか…」
密かに僕はそう考え、予選を済ませるためにリングへと上がった。