ヘイ、ブラザー。元気か?
俺のほうは、少しばかり気分が優れない。
いや、別に体調が悪いわけじゃないんだ。ただ、ちょっとテンションが上がらないだけである。
それはな、かわいげのない妹のエスコートをしなきゃいけないからだよ。
健介君は一般生徒です。第十四話
今日は龍宮神社の夏祭り。しかし、テンションはあまりあがらない。
本当は、悪友二人と遊びに来る予定だったのだが、それが急遽取りやめになったからだ。
俺のほうが、妹のエスコートを理由に断わったわけではない。むしろ、二人が断わったために俺は妹と来るはめになったことを理解していてくれ。
まあ、一人は親が事故にあったらしく――もっとも、後で聞いた話では軽傷だったらしいが――親の安否の確認のため急遽病院に向わなくてはいけなかったのだからよしとしよう。親の一大事にいてもたってもいられないのは当然のことだ。むしろ、いかなかったら、説教をくれてやるところだ。
そう、彼のことは別にいい。だが、もう一人の方が問題である。
あいつが断わるとき、俺になんて言ったと思う?
「悪い、彼女といくから、一緒にいけねえわ」だぞ!
いやあ、このときは相手を殺してやろうと思ったね。
なにか? それは、遠距離恋愛でなかなか真由美さんに会えない俺への嫌味か?
そのとき、俺が嫉妬の鬼になったことは言うまでもない。
だが、友人がデートすると前もって言っていれば、ここまで怒らなかっただろう。
ガキっぽいかもしれないが、俺は夏祭りに行くのをそれなりに楽しみにしていたのだ。
それを一人で行かなきゃいけないはめに……
せっかく楽しみにしていた夏祭りでも、一人で行くのは虚しいだけ。いまさら誘う相手もいない。
今年は寮でひっそりするかと諦めの考えに至るのは時間の問題だった。
しかし、諦めるといっても未練が残らない訳もない。暇つぶしのために格ゲーをしていてもため息が出るばかり。
そんなときだ。俺の携帯電話が鳴り出したのは。
着信の相手は俺に対しては粗暴な態度をとる可愛げのない妹から。
受信ボタンを押しケータイを耳に当てると聞こえてくるのは「アニキ、今夜暇?」というぶっきら棒な言葉である。
こいつ、兄を敬う心を持ち合わせておらんのかと思たものの、一応暇だと答え、何事かと話を聞いてみれば、あいつも一緒に行くはずだった友達が急に行けなくなったらしいとのこと。
その時、妹に奢らされて、今月の小遣いを使い切った自分の未来像は簡単に想像できたのだが、夏祭りに行きたいという気持ちを抑えることはできず、俺は神社へと行くことにしたのだ。
そして、神社に来て、思ったのだ。
やっぱり早まったかなと。
歩いている途中、屋台に目をやれば、何の変哲もないただの焼きそばに五百円なんていう法外な値段がついている。
手元にあるのは三千円。祭りの終わりに俺の財布は絶対にからになっているだろう。
あいつのことだ。食べ物の四つや五つたかってくる。
祭囃子に心は浮かれるが、この後のことを考えると欝になってくるおかしな状態。
しかし、とりあえずは集合場所に行かなきゃ始まらんだろうと俺は歩き出す。
が、次の瞬間俺の体はピタリと止まった。
なぜかって?
俺の怨敵。彼女と行くなんて理由で俺との約束を反故にした野郎を見かけたからですよ。
しかも、楽しそうに浴衣を着た女の子と手を繋いでやがる。
あのやろう! 一人だけ楽しみやがって!
そんな姿を見せ付けられて、平然としていられるほど、俺は聖人でも君子でもない。
憎しみだけで人が殺せているならば、今俺は百回ほど奴を屠っている。
この怒り、晴らさずにおくべきか。否、制裁を加えるべきだろう。
足元に落ちている石でも投げてやろうかと、俺は身をかがめる。が、その瞬間、俺の体はまたも動きを止めた。
別に、急に広い心を持って奴を許した訳ではない。そんなこと、天地がひっくり返ったとしてもありえないだろう。
むしろ、心に余裕がなくなったからこそ、俺は行動を止めたのだ。
はっきり言おう。俺は今非常にあせっている。
背中を嫌な汗が流れ、喉は急激に渇いているし、頭はまともに回っていない。
心の中は、なぜあいつらがここに? という思いでいっぱいだ。
俺が、ここまで焦る相手。付き合いの深い君達はもう気付いているだろう。
そう、あの労働基準法を無視した少年教師の教え子達である。
しかも、その中でも会いたくない人間ワーストファイブに入っている、ツインテール、木刀少女、ロボ子という豪華メンバーだ。
まだ、金髪幼女が居ないだけマシなのだが、それでも俺のテンションをどん底まで落としめるには十分だった。
そのまま見なかったふりをして横を通り過ぎたいのだが、相手と目をばっちりと合わせてしまった。
帰ろうかな……
一瞬そう思い、本気で回れ右しそうになるのだが、それは寸前のところでやめた。
そんなことをしたら、後で妹に何を言われるか分からないからだ。
さりとて、妹との集合場所はこの先の十字路を左に曲がった先である。
ここを通り抜けない訳にはいかない。
俺は周りを見渡す。
路沿いにあるのは、屋台の群。その奥は林だ。
ふむ、やはり解決策はこれしかないか……
俺は彼女達がいる道を避けるべく、林の中へと突っ込んでいった。
「またせっちゃんとお祭り来れるなんてな」
「は…はい」
お嬢様の、このちゃんの言葉に私はどもりながら答えた。
それは、感情の高まりによってうまく言葉が出なかったためだ。
今、わたしは龍宮神社の夏祭りにお嬢様やアスナさん達と共に来ている。
大好きな人と共に着飾ってこのような場所に居る。そんなことがとてつもなくうれしい。
半年前の自分はこのような状況を予想できてたであろうか?
あの時には考えられなかった幸せな状況に、わたしの口元は自然に笑みの形へとなっていた。そんな風にわたしが幸福を噛み締めているところに聞こえてきたのは「茶々丸さん。これ何? バッジ?」というアスナさんの声。
その声につられてアスナさんの手のひらを見ると、そこには見慣れぬバッジが三つある。
彼女の言から察するに、それは茶々丸さんが渡したものなのだろう。
「部員の皆さんに一つずつ配っているところです。
マスターから部員の皆さんへの特性のプレゼントです」
どうやら、それはエヴェンジェリンさんからのプレゼントであるらしい。
デフォルメされた白い羽のバッジはお嬢様の箏線に触れたらしく「ひゃーっ? 何これーッ。もらってええのん?」ととても喜んでいた。しかし、エヴァンジェリンさんはいったいなぜそのようなものを渡したのだろうか?
わたしは疑問に思って考えるが、それはすぐに解ける。
「このバッジは部員の証ですので、今日の祭りにつけてこいとのことです」
茶々丸さんがすぐにこう言ったからだ。部員云々というのは、剣道部のというわけではない。
確かにわたしは剣道部に所属しているが、彼女の言った部員とはアスナさんが中心となって新しく立ち上げたネギま部(仮)のことである。表向きは英国文化の研究を目的としているが、その実、真の目的はネギ先生の父、サウザントマスターを見つけ出すことだ。
しかし、白い羽……ですか。お嬢様もその形状に疑問を持ったらしく「でもなんで白い羽根のバッジなん?」と口に出されている。
「いつまでも、ネギま部(仮)というのは、あんまりだろうということで、対外的にはサウザントマスターの紅き翼にならって、白き翼と名乗ってはどうかとおっしゃってました」
「え……」
それに答えるのは茶々丸さん。しかし、その答えにわたしは顔を赤く染めた。
その白き翼という名前があるものを彷彿とさせたからだ。
わたしには、秘密がある。それは純粋な人間ではないということだ。
その証拠は今は隠しているが、背中にある白い翼。昔はその存在がとても憎かったが、不思議なものだ。
お嬢様に綺麗だと言われた後では、不思議とその憎らしさは消えた。
しかし、だからと言ってこのように部の名前として使われるのには抵抗がある。というか恥ずかしい。
「ええやん、その名前ー」
「エヴァちゃんも粋なこと思いつくじゃんか〜」
けれども、お嬢様やアスナさんは乗り気らしく、口々にそう言っていた。
「え、いや、そ、そんな私……
それは、どど、どうかと……」
わたしは反論するが、恥ずかしさのためにちゃんと言葉がでてこない。
いけない。今日はこんな風にどもってばっかりだ。
火照る顔をなんとか抑えようとするが、顔は熱くなる一方だ。
しかし、そんなわたしの努力というものは、次の茶々丸さんの一言であっさりと必要なくなった。
「ただし、そのバッジは部員の証ですから……
英国行きまでにバッジをなくされた方は強制退部となります」
その言葉に冷や汗がでた。お嬢様は穴のあくほどバッジを見つめ「そ、それはこわいバッジやな〜」といい、アスナさんは「なんで、そんな変なもの配るのよ〜。怪しいわね、エヴァちゃん」などと愚痴を言っている。
わたしは「まあ、なくさなければ良い話ですが」と言ってみるものの、その内側ではエヴァンジェリンさんの真意を測りかねていた。アスナさんの言うとおり、怪しすぎるからだ。
だが、思考の海に沈む暇もなく人をも殺せそうな殺気にわたしは身構えた。
アスナさんや茶々丸も感じたらしく、身構えるのが分かる。
そして、その視線の先にいるのは……
「健介……さん?」
その姿を認めた瞬間にわたしは呟いていた。それを合図にしたように健介さんから発せられていた殺気は霧散した。
そう、確かにそこにいたのは、何度もわたし達を助けてくれた恩人である健介さんの姿だ。
しかし、どうして彼はあんな殺気を立てていたのだろうか?
「は、まさか……」
その考えに至ったとき、わたしは声をあげる。
「どうしたの?
刹那さん」
「アスナさん。エヴァンジェリンさんの意図が読めました。
どうやら、これはアスナさんがやった部長就任テストと同様に魔法世界行きのかかったテストのようです」
そう、おそらくこれはテストだ。そして、その試験官は今目の前にいる健介さん。
しかし、それはあまりにも……
「ど、どうするん?
せっちゃん」
「お嬢様。落ち着いてください。
確かに彼が敵となった場合、わたし達では勝てないでしょう」
そう、確かにわたし達では健介さんに勝つことは難しい。しかし、茶々丸さんはさっきなんと言っていた。
「茶々丸さんは先ほど言っていました。
英国行きまでにバッジをなくされた方は強制退部と。
つまり、逆を言えばバッジを健介さんから守れば良い訳です。
勝つ必要はありません」
これはそういうテストだ。圧倒的な強者と対峙したときにどう対応するかのテスト。
ここで戦うという選択肢を選んだ場合即座に失格だろう。
「お嬢様。失礼します」
わたしはそう言うと、お嬢様の手をとって走り出す。
あの人がどの程度本気を出してくるかは分からないが、人目のある中で無理に戦いを仕掛けてくることはないだろう。
お嬢様を気遣わなければいけないために全力で走ることはできないが、幸いにしてこの人込みだ。巻くのもそう難しくはないはずである。わたしはそう考えながら、向こうの姿を確認すべく後ろをチラリと見る。だが……
「なっ」
そこに健介さんの姿はなかった。
「刹那さん。
どうしたの?」
「健介さんの姿が見当たりません。
気配も……
相手がどういうつもりなのかが気にかかります。
そこを左に曲がってください。そうしたら、息を潜めて様子を見ましょう」
アスナさんの言葉に素早くわたしはそう答えると、屋台の並ぶ十字路の角を曲がる。
そして、すぐに身を隠そうとするものの、それはすぐに取りやめになった。
なぜなら、わたし達の十メートル程先には、すでに健介さんの姿があったのだから。
くそっ、どういうことだ。
俺は心の中で毒づいた。
確かに俺は全力疾走で藪の中を走ったはずである。その証拠に肌の露出した部分には擦り傷が大量についている。
それなのに、である。ふと気付いて十字路を見れば、ツインテール達の姿が見えたのだ。
うまくやり過ごしたと思ったのに!
そうは思っても、目の前の事実は変わりようもなく、俺はこれからどうするべきかを思案した。
一番に出てきたのはこのまま妹を待たずにさっさと立ち去るということだった。
約束を破ることに対して少しは躊躇するものの、やはり自分の身はかわいい。
その考えはあっさりと脳内会議で可決され、すぐさま足を動かそうとするものの、それは行動に移されることはなかった。
なぜかって?
ブラザー、妹の姿が彼女達のむこうに見えたからだよ。
さて、どうしたものか。
健介さんに先回りされ、わたしは思案した。
このまま、逆方向に逃げるのもいいかもしれないが、その時はまたこのように先回りされる可能性がある。
彼が、どのようにこちらの逃走経路を予測しているかは知らない。が、それが分からなければ再び同じ状況になるだろう。
このテストの勝利条件はバッジを守ること。それ以外の何物でもない。
ならば、この場はこうするべきだろう。
「アスナさん」
「なに?」
「お嬢様を連れて先に逃げてください」
その瞬間。わたしの言った言葉に二人が息呑んだのが分かった。
「ダ、ダメやせっちゃん」
「そ、そうよ」
次々に否定の言葉がかけられるが、わたしは横に首を振る。
「いいえ、よく聞いてください。
このテストの勝利条件はバッジを死守することにあります。
だけど、そのバッジを誰が持ってないといけないなんて事は言われていません」
「あ……」
わたしの言葉の意味を理解したのは、アスナさんは短くそう呟いた。
「つまり、せっちゃんは……」
「そうです。お嬢様。
わたしが殿を勤めますので、わたしのバッジを持ってここから離脱してください。
なに、大丈夫です。時間稼ぎくらいはできます」
わたしはそう言うと、安心させるように笑い、バッジを外す。
そして、それをお嬢様の手へと運び……
きる前にわたしは誰かに襟首を掴まれた。
今日は龍宮神社の夏祭り。そこにアタシこと奥村瑞樹は一人で歩いていた。
寂しい奴とは言わないで欲しい。本当は友達の千佳ちゃんと一緒に来るはずだったのだが、ドダキャンされてしまったのだ。
でも、千佳ちゃん……
断わる理由が、彼とデートするからってどういうことよ!
なに? それは一ヶ月前に振られたアタシへの嫌味なの?
そのとき、アタシが嫉妬の鬼になったことは言うまでもない。
でも、いくら愚痴を言ったところで、一緒にお祭りに行く人がいなくなったのには変わりない。
一人で行くのもなんだし、このまま寮で大人しくしてようかとも思ったのだが、やっぱりお祭りは行きたいという気持ちは偽れず、アタシの手は携帯電話を握り締めていた。
コールの相手は三歳年上のアニキ。断わられるかなとも思いながら今夜暇かとたずねてみれば、どうやらアニキも一緒に行くはずだった友達にドタキャンされたらしく、快く了承の言葉を言ってくれた。
ふっふっふ。そうと決まれば、友達に傷を負わされたこの心。アニキに癒してもらいましょう。(金銭的な意味で)
何をおごってもらおうかなと頭の中で思い浮かべると不思議なものだ。さっきまでの沈んだ気持ちは嘘のようになくなっていた。
わたしは神社へと足を踏み入れる。神社の中は屋台が並んでいてとても賑やかだ。
さて、待ち合わせ場所は舎利塔の横だからここをまっすぐ行けばいいわよねとわたしは鼻歌を歌いつつ出店の並ぶ道を進んでいく。
そうすること約十分。あと三十メートルほど進めば、待ち合わせ場所だろう。
目印の舎利塔から視線を落とせば、人込みの隙間に見えるのはアニキの姿。待ち合わせ時間にはまだ三十分もあるのだが、男のたしなみか殊勝なことにアニキは待ち合わせ時間のだいぶ前に来ていたようだ。
感心感心♪
その心意気に免じてこちらも走ってあげよう。
そう思い、アタシは駆け出した。
これでも新体操部員。運動神経には自信がある。
だけども、これだけ人が多い中、しかも浴衣という服装は正直走りにくい。
しかも、履いているのは下駄。そんな訳で、アタシがバランスを崩したのは当たり前といえると思う。
そして、結果的に起こったことは事故だとも……
えーと、何が言いたいかというと、アタシは走っているときにバランスを崩して、側に立っていた女の人の襟を慌てて掴み、そのまま押し倒してしまったのだ。
そう、これは事故。事故だから……
そんな怖い目で睨まないでくれないかな?
あのバカ。よりにもよって、何をしてやがる。
俺は目の前で起こった状況に青ざめた。
なんと愚妹が木刀少女を過って押し倒してしまったのだ。
その勢いは強烈で、木刀少女の腕から何かがこちらの方へと飛び出してくるほどである。
とりあえず、彼女の持ち物であろうソレを拾い上げ、どう穏便に終わらせようかと思案し歩き出すが、あまりいい答えはでない。
そうこうしているうちに俺と彼女達の距離はゼロだ。
というか、木刀少女よ。なんで押し倒した妹ではなく、俺の方をそんなにも強く睨んでいるのかな? かな?
一番最初彼女は間違いなく妹を見ていたはずなのだが、気が付いたらその視線は俺に釘付けである。
ひょっとしてこれのためか?
俺は先ほど拾い上げたモノを確認する。
それは白い羽の形をしたバッジだった。
一つ百円くらいで売ってそうな代物である。
こんなんが、そんなに大事なのか?
俺は首をかしげ思案するが、ある場所を見てからそれは一転した。
なるほど、確かに大事なものだったみたいだ。
俺が見た場所というのは、いつも木刀少女とともに居るロングヘアーの少女の襟だ。
そこには、今俺の握っているものと同じものがある。
そ、そうか、これは愛しの彼女とペアのものだったんだな。
だとしたら、その視線の意味も理解できる。
そうと分かったら、俺にできるのことは平謝りだけである。
「妹はこういう催し物には目がなくてね。
少々張り切り過ぎてしまったらしい。そんな風に倒すつもりじゃなかったんだ。
許してやってくれ」
とりあえず、妹がやったという部分を強調して、俺のせいではないということをアピールすることが大切だ。
というか、瑞穂。お前はどうしてすぐに立ち上がらないんだ。それだと心象が悪いだろう。
「ほら、もうお前もどけ」
いつまでも立ち上がらない妹をどかし、俺は木刀少女へと手を差し出す。
彼女はとまどった顔をした後、俺の手を取り立ち上がった。
「これは、返しておこう。
次はなくさないように気をつけてくれ」
そして、間髪居れず俺は先ほど拾ったバッジを彼女に差し出す。
彼女はそれを恐る恐るだが、大切そうに受け取った。
ふむ、よかった。少しは機嫌が直ったらしい……と思うことにする。
ならば、もう長居は無用だろう。このままここに居て、再び機嫌を悪くされたらたまったものではない。
俺は妹の手を取るとすぐさまその場を去った。
それは一瞬のことだった。
お嬢様にバッジを渡そうとした瞬間。わたしは襟をつかまれ投げ飛ばさていた。
殺意もなにもない攻撃。それ故にわたしの体はとっさに反応することができなかった。
気が付いたら倒れていたという感じだ。
それを理解した瞬間。わたしの背中には冷や汗が流れる。
それがどれ程難しいことか分かっている故に。
まさか、伏兵が居たのか? 恐る恐るわたしはそれをやった人間を確認する。
年齢はわたし達と同等か少し下くらいだろう。まだあどけなさの残った少女の姿がそこにあった。
しかし、その風貌は誰かに似ている。それが誰だったのかとわたしは思い出そうとするのだが、すぐさまそうしている場合でないことを思い出し、すぐにやめた。
そう、こんなことをしている場合ではない。
バッジは、バッジは何処へ行った?
先ほど衝撃を受けた瞬間にわたしは持っていたバッジから不覚にも手を離してしまったのだ。
わたしは視線をめぐらせる。そして、地面に落ちていたバッジを捉えた瞬間、それは誰かに拾い上げられた。
その人物とは健介さんだ。彼は感情の乏しい表情でそれを握るとわたし達へと近づいている。
依然、わたしは組み伏せられたまま。何もすることができない。
自らのバッジを奪われたばかりか、お嬢様をお守りすることもできないなんて。
悔しさがこみ上げてくる。なんとか一矢報いようと少女の束縛から逃れようとするがダメだ。
的確に体を極められていて立ち上がることができない。
その間にも健介さんは目の前に差し迫っていた。
「お逃げください」
わたしはそう叫ぼうとするが、それは寸でのところで止められる。
わたしより先に健介さんが口を開いたからだ。
「妹はこういう催し物には目がなくてね。
少々張り切り過ぎてしまったらしい。あんな風に倒すつもりじゃなかったんだ。
許してやってくれ」
妹? なるほど、今わたしを組み伏せている少女は健介さんの妹であるらしい。
ならばあの芸当も納得できる。
だが、分からないのは、なぜ健介さんがわたしに向かって謝っているのかだ。
わたしは、彼の言葉をもう一度反芻してみる。
そして、その意味が分かった瞬間愕然とした。
彼は、妹が少々張り切りすぎたと言っていた。
つまりは、手加減するはずが少し本気を出してしまったということだろう。
あんな風に倒すつもりじゃなかったんだというのは、気配も殺気も消して襲うつもりじゃなかったということ。
だが、わたしをなによりも愕然とさせたことは、不意打ちとはいえ少し本気を出した程度で軽くあしらわれたという事実だ。
彼はわたしを組み伏せている少女をどかせるとそのままバッジをわたしに渡す。
おそらく、自分の反則負けとでも言いたいのだろう。
だが、納得いかない。これが実際の戦場だったなら、わたしは簡単に死んでいるのだから。
くっ、なんて未熟なんだろう。
わたしは自分の力の無さに心の中で悔し涙を流した。
後日
エヴァ「おい、刹那のやついつも以上に力が入ってないか?」
茶々丸「実は先日このようなことがありまして」