第四話 日々は終わりゆく
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今日の授業の終わりを告げるチャイムが校内に響くのを俺は他人事のように聞いていた。
果たして俺は今日何をやっていたのだろうか。
シャーペンは持ってもモノを書いた覚えはなく、先生の話も聞いた記憶がない。
「つまり、何もやっていないってことだよな」
俺は確認するように呟くと窓の向こうに広がる空を見上げた。
流れる雲を目で追いながらそっとため息をつく。今日はなんだか物が手につかない。まるで夏休みの最後の日になって宿題をやっていなかったことに気付いた子供のようだ。
いや、少し違うかもしれない。その場合の子供はちゃんとしなければいけないことが分かっているというのに、俺は何をしたらいいのか分からないのだから。
何をすればいいのか分からないが、何かをしなければいけないということは分かっている。それが自分にとってひどく大事なことであろうとも。
だが…
「はぁ」
「よお、マサ。
何ため息ついてるんだよ?」
「別に」
「澄香ちゃんと喧嘩でもしたのか?」
「そんなことはない」
ため息まじりそう言って顔を上げる。
目の前にいるのは薫だ。やつは疑わしそうな目でこっちを見ている。
「なんだよ、その目は」
「いや、本当かねと思って」
「その根拠は?」
「今日は澄香ちゃんも落ち込んでいる」
「澄香が?」
そう言って、俺は澄香の方を振り返った。今まで何もかも上の空で気づかなかったが、そう言われると確かに今日の澄香はなんだか元気のない顔をしている。
「昨日のデートで何かあったんじゃないかと思ったけれでも、その様子じゃちょっと違うようだな」
「…昨日、別れるまでは普通だったはずだが?」
「問題はその後か…
昨日、どこで別れたんだ?」
「そりゃあ、家まで送っていったけど」
「つまり、問題は家の中でということになるな」
「澄香の家庭は順風満帆だ。考える理由は…
あれか…」
「あれって?」
「一週間前にもあっただろうが…」
「あ、ああ、あれか」
そう言われて、やっと合点が言ったらしい。薫は納得いったという顔をし、次に心配して損したという顔をした。
「今度は何だ? コーヒーか?」
「いや、おおかたマジックを使う時の下敷きにしてしまったんじゃないのか」
傍から聞くと訳の分からない会話であるが、俺と薫の間では見事なまでに通じていた。
前にも言ったこともあるとは思うが、澄香は絵を描くことを趣味としている。
その腕前は結構なもので、見せてもらうものはどれも素直にきれいだと感じれるんだが、澄香には一つ、悪癖というか何というか、そんなものがあった。
あいつの気に入った絵は何かの理由で確実に破損してしまうのだ。
一週間前は確かゴミと間違えて丸めてしまったんだっけ。
破損をしてしまう原因を聞くと、そのどれもが自らの不注意より生じているような気がするのだが、本人はそのどれもを不幸の事故と言い張っている。
「そうなると、生存率はどう変化したかな」
「先週の時点で一割だったからな。
ひょっとしたら、それを切ったかもしれん」
ちなみに生存率とは澄香のお気に入りの絵が無事な確立だ。
ここまでくると、わざとしか思えんのだが、本人はいたってまじめだ。
「ここは、彼氏として慰めてやらないのか?」
「誰が彼氏だ」
「だったら、幼馴染として慰めてやれ」
薫の「はいはい、わかりましたよ」という態度がひどく癇に障るのだが、そこをぐっと押さえ込んで俺は澄香を慰めに立ち上がろうとして、すぐにやめた。
澄香の姿がなくなっていたからだ。
「おい、あいつどこ行った?」
「さあ、帰っちゃったのかも?」
まだ、ホームルーム終わってねえだろと言おうとして、俺は止まった。
いつの間にかホームルームが終わってしまっていたことに気づいたからだ。
教室から外に出て行く生徒の姿が見えることより、それはまちがいないだろう。
だが、
「これは…
重症だな…」
ひどく小さな声でつぶやいたその言葉は誰の耳に届くことなく消えた。