第一章 小林一茶の大学生活

 ここに一人の青年がいる。名を小林一茶という。ちなみに「一茶」とは「かずさ」と読むことを覚えていただきたい。江戸時代の俳句の大家とはまったくの別人だ。 
 背丈は高くもなく低くもなく、太っているわけでもなく痩せているわけでもない。中肉中背。そして顔も整っているわけでもなく崩れてもいない。いわゆる普通といわれる部類の人間だ。
 そして、そんな普通である彼が何をやっているかというと。
「ふははははは」
 日中の往来で仮面をつけ、笑い声を上げていた。
もっと正確に言えば、犬の銅像に登り、片足を犬の銅像の頭に乗せ、乾いた笑いを上げている。その笑い声を真面目に聞くものがいれば、それが、かなりやけっぱちのものだと理解してくれただろう。
しかし、白昼の街中でおかしな格好をして笑い声を上げている人間に関わろうとする奇特な人間はいるはずもなく、真面目に相手をしようとする人間はもっといない。周りからの視線は当然ことながら冷たく、親子連れなどは足早に彼の前を通り過ぎていく有様だ。親の行動としてはそれが当然であり、子供の教育のためにはもちろんその方がいいのだろう。しかし、その行動が彼の心を深く傷つけていることを彼女らは気付いているであろうか?
 世間の冷たさに傷む胸を押さえながら彼は自問する。
 どうしてこうなってしまったのかと。
 考える必要などない。答えはとうに分かっている。
 WOCに不本意ながら入ってしまったためだ。
 それでも、なんでこうなってしまったのかと自問せずにはいられないのが人間というものだろう。後悔とは後になってするから後悔なのだ。
 それはちょうど一週間前のことである。その日彼は入学した大学内のホールの前にいた。
 その日、そのホールでは各クラブが紹介を行うためのオリエーテンションがあったのだ。
 春になったとはいえ、冬の名残か外はまだ肌寒い。風に吹かれ、ブルッと体を震わした彼は暖かそうな建物の中へと入っていった。
屋外から場内に一歩でも足を踏み込めば、彼を待ち受けるのはビラの洗礼だ。部員獲得に意気込んでいる各クラブの部員が、我先にと一茶の手に自分達の用意したビラを握らせようと手を伸ばしてくる。それはまるで嵐のようで、一瞬怯みそうになるものの、一茶はなんとか懸命に前へと進んでいった。伸ばされてくる腕を掻い潜り、なるべく早く中へと入ろうとするが、人込みを抜ける頃には彼の両腕は紙束で一杯になっていた。
 後で絶対捨てるだろうなと内心思いながらも、彼はビラをかばんに詰め込み、両腕が楽になったところで彼は一息つき顔を上げる。出入り口とは打って変わり、会場内は案外人が少ない。しかも、ほとんどは部活関係者で、どうやら一茶のような見学者は極少数のようだ。出入り口に各クラブ員が殺到する理由の大半はここにあるのかもしれない。
彼はそう思いながら、さて、どこから見学していこうかと首をめぐらせるが、特に興味を引くものはなく、元々暇つぶし目的で来たため、特に見学したい部活があるわけでもない。
適当にぶらついてみるかと最終的に彼の思考は会場を一周することに纏まった。
 さてさて、どこか面白そうな所はないかと彼は歩き出す。左右に広がるブースではパソコンを使って、部活動の様子を見せたり、楽器を鳴らしたりと、すこしでも新入生の気を引こうと必死なようだ。それらは確かに一茶の目を引かせたが、彼を立ち止まらせるには至らない。ただ、こんなことをしている所もあるのかと、横目で見るだけだ。
 だが、そんな彼の足が次の瞬間ふと止まる。それも比較的地味なブースの前でだ。
 それは簡素で本当に地味なクラブのスペースだった。机の前にはWOCと部活の名前らしきロゴが書かれた紙が張られており、そこに一人の男性が座っているだけ。その男性は、確かにそこら辺のモデルでは太刀打ちできないくらいに格好良くはあったのだが、一茶の目を引いたのはそのことではなかった。
 何か違和感を覚えたのだ。
 その違和感が何かと言われても、よくは分からないのだが、あえて言うならば誰もそのスペースの前で足を止めないということであろうか。
 初めはみんながその部活に興味がないだけかと思っていた。WOCと言われたところで一茶としてもどのような部活か分からない。へたなものに関わるのはよそうとそのまま一茶もその前を通り過ぎようとしたのだが、その足はすぐにピタリと止まることとなる。
 違和感の正体に気付いたからだ。
 それが分かったのは二人組の女性がその部活の机の前を通りかかったときである。
 前をちゃんと見てなかったのか、片方の女性が盛大にバランスを崩した。それに対して連れの女性は笑い「何なにもないところでつまずいてるの」とちゃかす。それだけ見れば、どこにでもありそうな日常の会話だ。
しかし、おかしな所が一点ある。なぜ、二人の女性はWOCのブースがないように振舞っているのであろうか。注意しなくてもその女性が机の脚に引っかかったのは分かるはずだ。分からなかったとしても、足を引っ掛けた女性が不思議そうに机の脚を通りこした地面を見ていたのはどう説明すればいい。
(まさか、俺以外に見えていない?)
 たどり着くのはファンタジックな馬鹿らしい結論。まさかとは否定してみても観察すればするほどそうとしか思えない状況が目の前には広がっている。しかしその事実に驚き、愕然としていたのも一瞬のことだ。一茶は我に返ると急いでその場から立ち去ることを決める。
 何はどうあれ訳の分からないことに関わらない方が良いと思ったからだ。
 一茶は目を逸らし、歩みだそうとするのだがそれは一歩遅かった。
タイミングとしてはコンマ一秒の差だと思う。しかしそのコンマ一秒のために彼の目は、ばっちり相手の目と視線で握手をしていた。
相手、WOCという部活の部員らしきその男性と。
彼はこちらを見ると、甘いマスクで笑いかけて手招きをする。明らかに一茶を呼んでいるものだ。
いやな予感がした。しかし相手の視線はこちらを離してくれそうにはない。そこから一茶にできることといえば、覚悟を決めておとなしくそのブースに近寄ることだけだ。
不吉な予感も抱えつつも腹をくくり一茶はその一歩を踏み出すのだが、そのとたん、眩暈に襲われ、彼の視界はグニャリと歪むこととなる。
あの美男子が何かをしたというわけではない。確かにあんな不可思議な席に座っている人間なら魔法やら超能力なんていうオカルトチックな物を使って、こんなこともできそう気もするのだが、この眩暈の原因はそんな外的なものではなく、いわゆる一茶の持病のようなものだ。
 一茶には一つだけ人と大きく違った部分がある。それに気付いたのは何時だったかはもう思い出せないが、未来視というのだろうか。彼にはこれから起こりうるであろうことが、こういった眩暈とともに時々見えたりするのだ。
 彼自身、人づてに聞けば笑い出しそうなこの能力を初めは信じられなかったし、偶然だろうと思っていたのだが、この力により何度も救われた今となっては、この力に少なからず信頼を寄せていた。しかし、次の瞬間。彼の自分の能力に対する信頼は見事に砕け散ることとなる。
 真っ暗な視界がひらけ見えたのは、なぜか知らないが狼男とターミ○ーターのような体格のサングラスをした男と美しい人魚と一緒に鍋をつついている自分の姿。
 百歩譲ってター○ネーターはいいとしよう。世の中には日本人離れしたそのような体格の大学生も居ないことはない。でも、狼男と人魚はどういった用件だろうか?
 念のために言っておくが狼男も人魚も本物ぽかった。断じてコスプレの類ではないと思う。もっとも、本当にそうかと聞かれれば、声を大にして言い切れないのは苦しいところだが…
 とそこで彼の意識は現実に戻る。ほんの一瞬の出来事だったはずなのだが、目の前には先ほど手招きをしていた男が立っていた。
「君、大丈夫かい?」
 やさしそうな声だった。それ故に先ほど見た光景が余計嘘っぽく感じる。
 あの映像はおそらく自分がこの人と深く知り合えばああなるのだと知らせるものなのだが、
この人と知り合いになったとしてもあんな現実離れしたことが起こるとは思えなかったからだ。
「え、ええ。ただの立ちくらみです」
「そうか、だったらうちのスペースで休むといい」
「ありがとうございます」
 一茶はそう答えると、未来視の結果を無視し男と一緒に彼の部活のスペースへと入り、差し出された椅子に座った。この時彼の頭から、先ほどの女性の反応や、あのブースが自分にしか見えないんじゃないかという考えなんてものが、すでに抜け落ちていたことはお分かりだろう。未来視で見た映像のあまりのインパクトのためにすっかり忘れてしまっていたのである。
「どうぞ」
 一茶が椅子に座って休んでいると、彼の目の前には声と同時に紙コップが差し出された。
 中に入っているのは薄黄緑の液体。おそらくは緑茶だと思う。
「すいません。お邪魔じゃないですか?」
「いいよ、いいよ。こっちも客がこなくて暇してたし」
一茶が申し訳なさそうに言うと、返ってきたのはそんな答え。
一茶を気遣っての社交辞令の言葉ではないだろう。事実先ほどからこのスペースにくる人間は全くもっていないのだから。
しかし、そうなると一茶の中の好奇心が鎌首をもたげる。
これほどまでに見向きをされない部活は果たして何をやっているのだろうと。
「あの、ええと…」
 聞いてみようと思ったのだがそこで一茶はまだ男の名前を知らないのに気付いた。
 男も一茶の言いたいことがわかったのだろう。
「それじゃあ、まずは自己紹介をしようか」と気さくな声で提案をしてきた。
「あ、はい。
ええと、俺、いや、ボクは小林一茶っていいます」
俺といったところを慌ててボクと言い直す。
上級生の前では野暮な言葉を使わない方がいいと思ったからだ。
「そんなかしこまらなくてもいいよ
 俺は大牙グリーンヒル、よろしく」
 どうやらこの美形の男の人は名前から察するにハーフらしいと一茶は推測した。
 もっとも何人と日本人なのかは、まったくもって分からなかったのだが。
 差し出された右手を握り返すと大牙は微笑み「で、なんだったかな」とさわやかに言う。
 どうやったら、そんなさわやかな笑顔を浮かべることが出来るのかと、一茶はくだらないことを思ったが、その言葉に促され、一茶は好奇心を満たすために、大牙に向かって初めに浮かんだ疑問を言ってみることにした。
「ええと、この部活ってどんなところなんですか?」
「うん、それは難しい質問だね」
「難しいって?」
「なんというか、その日の部長の気分で変わるから」
「…」
 大牙の言葉に一茶はどう反応していいか分からず固まった。
 部長の気分で部活活動が変わるとは変な部活もあったものである。
 思わず、分かりにくい冗談かと思ったが、それはすぐに否定される。
「ああ、一茶君の言いたいことは分かるよ。
 それって本当に部活かよとか思うかもしれないけど事実なんだ」
 彼の台詞の「事実なんだ」というところには、深い疲れが感じられた。
 それ故にそのことが事実であろうことが、よく分かるというものだ。
「だ、だったらグリーンヒルさんは…」
「大牙でいいよ」
 初対面の人をいきなり名前で呼ぶのは気が引けたが、一茶は大牙の呼び方を言い直す。
「大牙さんはどうしてこの部活に」
「なんというか、部長に拉致されたと言うか脅されたと言うか…」
「…部長って、怖い人なんですか?」
一茶の質問に大牙はしばし考えると「優しい人だと思う」と答えた。
「でも、同時に趣味人でもある。
 あの人は手段のためだったら目的を選ばないからな」
「つまりは、手段と目的が入れ替わっていると?」
「大抵ね…」
 大牙はそう言うと大きくため息をつき、はた迷惑な人もいたものだと一茶は思った。
 しかし同時に、自分ひょっとするとやばい状況なのではないのかと考える。こんな場所をその部長さんに見つかったら間違いなくこの部活に入れられるのではないだろうかと。
 そこから導き出される結論は『ここから一刻も早く立ち去るべきである』だ。それは奇しくも忘却の彼方に飛んでいった数分前の答えとまったく同じものであったが彼は覚えていない。
 一茶はそう考えると、逃げるために立ち上がろうとするのだが、それは突如かけられた第三者の声に止められることとなった。
「あれ、ひょっとして新入部員さん?」
 聞こえてきたのは思わず聞きほれてしまいそうな、鈴の音のように軽やかな女性の声だった。
 この人が部長さんだろうかと一茶は恐る恐る振り返る。そこに立っていたのは長い黒髪を後ろで束ねた美しい女性。幻想的な瞳に見つめられて一茶は自分の体温が上がるのを感じた。
(あれ、この人どこかで見たような…)
 だが、既視感とでもいうのだろうか。一茶はどこかでこの人を見かけたような気がする。
 勘違いじゃないかと一瞬思うものの、彼の勘がそれは違うと告げていた。
「やあ、鈴穂。こっちは新入生の小林一茶君。
 うれしいことに新入部員ではないな」
「そう、良かったわ。被害者は少ない方がいいしね」
 大牙の口調からして、女性は部長ではないもののWOCの部員ということには変わりはないらしい。だが、それよりも問題なのは、二人の会話が今物騒ではなかったかという点だ。
 聞き間違いでなければ、被害者がどうこうという言葉が出ていた気がする。
「ああ、なるべく彼には迷惑をかけたくないし」
「大学生活の大半をベッドで過ごしてもらうなんて心苦しいものね…」
 どうやら聞き間違いということはないらしい。
 ひょっとしてあれか、ここは暗殺訓練所とかなにかであろうか。
 一茶は内心焦ったが、他方でひどく安心していた。
なぜなら、この二人は自分を見逃してくれそうだからだ。
 一茶は心を落ち着かせると、先ほど現れた女性を観察する。
 改めて見ても美しい人だった。綺麗という言葉はこの人のためにあるんだというほどの。
 そうなるとこみ上げてくるのは疑問。
自分は彼女をどこかで見たはずだ。こんなきれいな人だったら忘れるはずないのにと彼は自分の記憶をたどり始める。するとたどり着くのは一つの光景。
「に、人魚!」
 それに気付いたとたん、一茶は驚きのあまり声を上げていた。
その声に二人は驚きこちらを振り返る。
 そう、間違いない。体の各部分に鰭を付け、下半身を魚にしたら目の前にいる女性は間違いなく未来視で見たあの人魚だった。
 そして、しまったと思うのだ。
どうして自分はあんなことを叫んでしまったのだろうと。
 未来視が本当ならこの女性は間違いなく人魚ということになるだろう。いや、人魚がいるなんて到底信じられないが、と自分のことを棚に上げて一茶は思ったが、そんなことはさておき、もしそうだとしたら、このことを知っている自分はどうなるかというのが問題だ。
 一般的な小説に当てはめて考えてみる。
すばやく演算して出した答えは、よくて記憶を消される。最悪は死だとなった。
しかし、落ち着いて考えれば未来視を信じるとすると、あそこで一緒に鍋をつついていた自分は死ぬはずがない。
ということはだ。以上のことを踏まえたうえで出た答えはこれだろう。
A.部活に引き込まれる。
 とりあえず、最悪の状況ではないようだが、それはなんとしても避けたい答えであった。
 冗談ではない。大学生活の大半をベッドで過ごす事になるような部活に誰が好き好んで入るものか。
「い、いえ、人魚のように美しい人だなと」
 そう思ったとき、口から出たのは言い訳のような苦しい言葉だった。
 とりあえずそれで納得してくれないかなと思ってはみるものの、二人の視線は緩むことはない。あんな白々しい言葉ではあたりまえである。
 となるとあれだ。ここで自分の取れる最善の方法はなんだろうか?
 自分の持ちうる危機回避能力を最大限に考慮して考えることしばし、答えはすぐに出た。
 その途端、一茶は立ち上がるとその場を逃げ出す。
 三十六計逃げるにしかず。彼の頭に浮かんだのはそんな言葉だった。
 しかし、一茶はこの時のことを思い出すたびに理解するのだ。
 ああ、このときすでに運命は決まっていたのだと。

「あの子、どうして分かったのかしら?」
 一茶の逃げ帰った後のWOCのスペース内で海野鈴穂はその言葉を口にした。
それに対し大牙は「単純に考えれば、あの姿の君を以前見かけたっていうのが妥当だと思うが…」と答えるものの、心底そう言っているわけではない。
「ええ、そうじゃないみたいね。多分、あの子の目。魔眼よ。
 なんの魔眼かは分からないけど」
「だろうね。意識阻害の魔術がかかっているこのブースを見つけられるなんて、特殊な何かを持っているとしか考えられない。まぁ、でもいい子そうだし、うちの部長に見つからないことを祈るよ」
 大牙の言ったその言葉に、鈴穂は大きく頷いた。

 一茶は逃げた。それはもう怒涛の勢いで人を掻き分けながら。
周りにしたらいい迷惑なのだが、本人は必死なのだ。許してあげてほしい。
 そして、どのくらい走ったのだろうか。気が付いたら一茶は会場の外に立っていた。
 着ている服は汗でぐっしょりぬれ、額からはいくつもの汗の雫が垂れる。
 後ろを見返すとどうやら追っ手はいないらしい。
 とりあえずは安心し、彼はホッと息をつき前を見るのだが、
「そんな汗だくでどうしたんだ」
 首を戻すと目の前には人がいた。
 突如現れた男に対し一茶は文字通り飛び上がって驚く。
「そんな風に驚かれるのは心外だ」
「す、すみません。追っ手かと思ったんで」
「追っ手? 何か追われるようなことでも?」
「い、いえ、少し不味いことを口走ってしまったんです」
 一茶の言葉に考えることがあるのか、目の前の男はしばし首をかしげた。
 その仕草は少し子供っぽいともいえる。年上の男性に対し、その感想は失礼かなと思いながらも、一茶は目の前の男を観察した。
 その男を一言で表すのなら黒いということであろうか?
 別に人相が悪いということではない。
なんというか着ているものが全身真っ黒なのだ。
 上に着ているTシャツも真っ黒だし、下にはいているズボンも真っ黒であり、さらにTシャツの上から着ている半そでの開襟シャツですら黒いのである。ファッションに疎い一茶でもそのコーディネートはどうだろうと思うのだが、それは男には預かり知らぬところ。男は一茶の内心を知ってか知らずか「まあ、それはともかくうちの部活に入ってはみないか?」と彼を自分の部活へ勧誘を行ってきた。
 普段の一茶なら、ここで男の所属する部活がどのような部活かを確かめたのかもしれないが今の一茶は逃亡者。普通の状態ではないし、思考にも余裕がない。
次の瞬間、彼の口から出てきたのは「入ります」という言葉。もっとも、それは何の考えもなしに言った言葉というわけではないのだが…
要するに、WOCとかいう怪しげな部活に入らないためにできる全ての手を打とうとしたのである。この場合でいえば、自分はもうこの部活に入っているので、あなたの部活に入れませんとかいう言い訳のために、目の前の男の部活に入ろうとしたのだ。
 渡りに船とはこのこと。
この時、彼は確かにそう思った。神は居るのだとも。
しかし、それは次のものをみたときにあっさりと覆る。
 次のものとは、
「紡、ここに居たか。今はお前がブース担当じゃなかったか。
 もうちょっと部長としての自覚を持って行動をしたらどうだ」
 ターミ○ーターのようながっしりとした体格のサングラスをした男だ。というか未来視で見たあの男だった。狙ったのか、服装までもターミネー○―の映画と同じものを着ている。
だが、そんなことはどうでもいい。この○ーミネーターは今なんと言った?
 間違いなくこいつはこの黒い男のことを部長と呼んだ。
 だったらこの部長に勧誘されその部活に入ると答えてしまった自分はどこの部活に入ったのだろう。答えは小学校の低学年ですら分かるほど簡単なものであった。
 もちろん、WOCにである。
 その考えに至ったところで、一茶は気が遠くなりそうになった。
「ああ、工藤。新入部員を見つけたぞ。
なんと今度は未来視の青年だ」
しかも、なぜだか能力までばれていた。

 さて、ここで一つの事実を言えば、乙木紡が部長を勤める部活、WOCははっきり言って謎の多い部活であった。具体的にはどのようにかと聞くなれば、以下の資料を見ていただきたい。これはM大学の学務に提出された、部活活動届けの一部である。
 団体名…WOC
 部長…乙木紡
 活動日…秘密
 活動場所…内緒
 活動内容…言えない
 受付のおばちゃんに突き返されたことは言うまでもない。
 だが、真にこの部活のおかしなところは、いつの間にかこの届けが受理されていたことだった。誰が受け取ったのかは分かっていない。しかし、誰もが知らないうちにWOCはなぜかM大学の一部活として登録されていた。
 そもそもWOCとは何の略称なのだろうかさっぱりだ。部員すら何の略称か知らないと豪語するくらいだからその正式名称を知るものは部長の紡以外に居ないのかもしれない。
 そして小林一茶はなぜだか知らないがその内緒とされているWOCの部室に居たりする。
 だが、一茶はその部室がこんなところにあるなんて思いもよらなかった。
そうまさか異次元にあるとは。
 比喩でもなんでもない。ましてや、秋葉原や日本橋にあるわけでもない。
 本当に異次元にあるのだ。
 不本意ながらWOCに入部してしまった後、紡に部室を案内しようと言われ彼と二人でやってきたのは学内の端の林の中だった。ちなみに他の部員は一茶の歓迎会を開くための買出しに行っているらしい。
 この林に着いたとき、一茶は本気でここが部室じゃないのかと不覚にも考えてしまった。
 それはないだろうという考えがなかったわけではない。常識的に考えて、こんな吹き曝しの場所が部室というには無理があるのは分かっている。だが、この人達だったらありえるんじゃないかという思いがそれより勝っていただけの話だ。もっとも、一茶はその考えがまだまだ甘かったとすぐに認識することとなるのだが…。
 一茶が、変な危機感を覚えている間に、ごそごそとポケットを探して、紡が取り出したのは銀板に鎖を通しただけのペンダント。表面には細かな文字らしき模様が刻み込まれてはいるが、それが本当に文字なのかどうかは一茶には分からない。その様子を見て、一茶は始め『何をやっているのだろうか?』と疑問に思っていたが、紡が何かをつぶやいた瞬間、その疑問はすぐに『これはなんだろうか?』という形に変わってしまった。
何もなかったはずの林の中に城門のような扉が現れたからだ。
 一茶の思考が固まる。単純に考えれば、林の中にいきなり扉が現れるなど、そんなにおかしい話はない。夢ではないかと一茶は頬をつねってみるのだが、そこからは痛みが確かに帰ってきた。
「これが部室の門だ。
一種の転移装置で、その先は部室の置いてある亜空間につながっている。
 扉は特定のキーワードを言うことによってここに現れ、またこのペンダントが鍵となってこの扉を開くようにしている」
 呆然とする一茶に紡は親切心からか、この不思議現象について説明をする。言葉の意味は理解できるが、にわかには信じがたいものであった。もし、目の前にこの扉がなければ、一茶はその言葉を笑えない新手の冗談として受け取っていた自信がある。
 そんな一茶に向かって紡が差し出すのは銀のペンダント。どうやらお前も今日から部員なんだから受け取っておけということらしい。一茶は戸惑いながらもそれを受け取り、渡した紡はそれを確認すると「来い」と一言、門を開きそのまま中へと入っていってしまった。
我が道を行くとでも言いたそうなその傍若無人な姿は、さながらどこかの王のようだ。一茶はその態度に一瞬あっけに取られたが、すぐに追いかけようとする。取り残されたらまずいと思ったのだ。もっとも、その足は門にあと一歩というところで止まってしまうのだが。
なぜかと聞く人間がいたら一茶はすぐにこう応えるだろう。
怖いからだと。
紡が入っていったその門。おかしなことにどんなに近づいていっても先が見えないのだ。
最初は、明かりがついていないからだとも考えたのだが、ためしに携帯電話のライトで照らしてみても、その闇が払拭されることはない。次に手を突き出してみるが、門の中へと入った手を彼は確認することができなかった。一茶は驚いてすぐさま手を引っ込める。まるでそこに黒い水面がそこに広がっているようだった。しかし、いつまでもこのように立ち止まってる訳にもいかないだろう。先程紡が入っていってからすでに五分くらいは経っているのだ。
大丈夫、大丈夫だと一茶は自分へと言い聞かせると、門の中へと飛び込んでいった。その瞬間に訪れるのは、若干の浮遊感。それが通り過ぎると、彼の足は確かに地面を踏んでいた。
一茶は瞑っていた目を開くのだが周りを見渡せば、そこは拍子抜けするほど普通の場所だった。本当にここは異次元なのかと疑いたくなるほどに。
 たどり着いたのは二十畳くらいの畳が敷き詰められた部屋。部員が一茶を含めて五人であることを考えれば、十分すぎるほどの広さである。部屋に置いてあるものはほとんどなく、あるものといえば部屋の隅においてある棚と部屋の中央においてあるちゃぶ台だけであった。奥には一つ扉がついているのだが、どこにつながっているかは不明だ。
 一茶がきょろきょろと部室内を見渡していると、紡は「まあ、上がって楽にしてくれ」と言い座布団を差し出した。
「ずいぶんモノが少ないんですね」
「必要なものは必要な時に持ってくればいいからな」
 そんなものかなと一茶は思ったのだが、あえて聞き返さないことにした。
 聞いたところで、なんだか無駄なような気がしたからだ。
 一茶は紡に言われるがまま靴を脱ぎ、部屋へと上がると腰を下ろすが、その姿は楽にしているとはお世辞にも言い難い。先ほどからの驚きの連続で、心が落ち着いていないのだ。それ故に体までもカチコチに固まって、見ていてかわいそうになってくる。加えて、悲惨なことは紡がさっきの言葉を最後にまったく話さないということだろうか。もし、紡が気を利かせて一茶の緊張が和らぐようなトークでもすれば、一茶はすぐにでも普段の彼を取り戻せたかもしれない。
 どちらも何もしゃべらない状態。
 紡のほうは別段気にした様子はないのだが、一茶のほうとしてはその間はひどく息苦しい気分であった。だが、その沈黙を崩そうとして紡に話し掛けようと思うのだが、なにも思いつかないのが現状だ。
 自己紹介は先程二人で部室に歩いてくる間にやってしまった。今日はいい天気ですねなんていう発展性のない会話は論外だ。ただ、暇つぶしに来ただけだったのにと彼は自分の腹部を右手で抑えた。心労のためか、先ほどから少し胃がきりきりするのだ。
 しかし、そんな片方が涼しい顔をし、片方が重苦しい顔をしている沈黙はすぐに終わりをむかえる。意外なのはそれを破ったのが一茶ではなく紡だったことだ。
「そういえば、一茶君。この部活に入る上で一つ諸注意があることを言うのを忘れていたな」
 世間話のように紡は軽い口調で言うのだが、対する一茶の体はさらにガチガチに固まってしまった。
 紡の言う諸注意というものがどんなものか想像つかなかったからだ。
 このWOCという部活は普通じゃない。この部活が普通だったら、世の中のすべてが異常になってしまうだろう。だったらそこで唯一つある諸注意というものは一体なんだというのだろうか。
 一茶はごくりと唾を飲んだ。部屋の中の緊張感は尋常ではない。思わず体が震えそうになるのを抑えながら、次の言葉を待つ。しかし、そんな一茶の気持ちを他所に、返ってきた言葉は「それは人種差別をしないということだ」という当り障りの無いものだった。
 だが、それはどういうことであろうか。単純に考えれば部員に外国人が幾人か在籍しているであろうということだろうが、
「それは鈴穂さんの正体が人魚とかそういう意味ですか?」
「ああ、聞いたか?」
「いえ、見えました」
 どこでとは紡は聞き返さなかった。
 紡は一茶の能力のことなぜだか知っている、逆に一茶は紡がどこで一茶の能力のことを知ったのかを知りたかったのだが、あえてその言葉を口にすることはなかった。しかし、そう考えてみると人種差別をしないというルールは実にこの部活らしいようなきがする。
「そうか、知っての通り鈴穂は人魚だ。
 確か出身は太平洋の沿岸らしいが、人間の暮らしにあこがれてここに来たらしい」
「逆に自分は人魚の暮らしについて気になりますがね」
「その辺は機会がある時に聞いてみればよかろう。
 そして、大牙は…」
「それも見えました。
 たぶん狼男だと…」
 あの時見た光景には人魚の姿の鈴穂、工藤と呼ばれたあの男の人と狼男が映っていた。
 目の前の部長はどうも狼男っぽくないし、となると消去法で大牙が狼男ということになるだろう。
「そう、その通り。ドイツ産の狼男と日本人のハーフだ。
 昔は日本にも狼男はいたらしいんだが、どうも日本狼と一緒に絶滅してしまったらしい。
 工藤については?」
「それは、分かりません。
 彼は見えたんですが…」
「まあ、彼の場合は見た目からでは分からんだろう。
 奴は人形だ」
「は?」
 予想外の言葉に一茶は思わず間の抜けた声を上げた。
「正確に言えば、あいつの体が人形ということだ。
 あいつの家は人形を扱う魔術師の家系でな、人形作りは十八番らしい」
「つまりは自分は家でのんびりしていて、大学は人形に行かせていると?」
「いや、五歳の時に病気で死に瀕してる奴を救うために、親が奴の魂を彼に似せた人形に封じ込めたそうだ」
 これも一つの親子愛ということだろうか?
 さすがに人形の体は成長しないために、周りに怪しまれないよう年に何回か体を作り変えているらしいが。
 しかし、あの体がまさか人形とは誰が思うだろうか?
 一茶が素直に感心していると紡が「来たか」という言葉を静かに口にした。その言葉に釣られるように一茶は入り口に目をやる。買い出しに行っていた部員が帰ってきたのだろう。
 ふり返ると同時に開いた扉から最初に入ってきたのは買い物袋をぶら下げた鈴穂だった。それに続いて大牙が入ってくる。やはりその手に持っているのは買い物袋。しかし、彼の場合は重いドリンク類が主なようである。そして、最後に入ってきたのは工藤だった。彼は他の二人と違い買い物袋は持っていない。だが、その両手には大きめの紙袋が二つぶら下げられていた。
「部長、ただ今戻りました。いろいろ迷いましたが、今日は鍋です」
 鈴穂がそう言うと同時に工藤が紙袋からカセットコンロと土鍋を取りだしちゃぶ台の上に準備していく。そのきびきびとした動きを目で追いながら一茶は工藤が人形だという先程の紡の言葉を思い出していた。
「どうしたんだい、一茶君?」
「いえ、工藤さんの体が人形っていうのが信じられなくて」
「へぇ、良く分かったね」
 そう少し驚きながらいう大牙にむかって一茶は「部長に聞きました」と答える。
「もっとも、彼はお前と鈴穂のことは分かっていたがな」
 そこに横から会話に割り込んだのは紡だ。
「へえ、やっぱりか。鈴穂をみて人魚と叫んだ時にあやしいと思ったが、魔眼のたぐいかい?」
「魔眼?」
 大牙の言葉に一茶は疑問符を上げた。首をかしげているところに紡が説明をし始める。
「魔眼とは一般に特殊な能力を持つ目のことを言う。
 いや、少し違うな。能力を使う時に瞳を媒介にすることが出来る瞳を魔眼と言うのか。
 まあ、ともかくお前の瞳はそういうもので、未来をみる類のものだ。
 もっとも、見ているのは確定した未来ではなくそうなる可能性なのだが。
その魔眼はいくつもの未来の可能性を観測し、その中でもっとも高い確率で起こるであろう事象を取り出している」
「なるほど、それで俺がそういう姿をしているのを見たと」
 そうかそうかと大牙は納得したようだ。うんうんと首をたてに振っているが、逆に一茶は自分の能力であるはずにもかかわらず、紡の説明ではあまり良く理解できなかった。
「はいはい、大牙。一茶君はともかく、あんたはしゃべってないで手伝ってよ」
「あー、鈴穂、すまん」
 理解できたらしい大牙に聞いてみようと話しかけようとするが、それは鈴穂の手伝いを促す言葉によってさえぎられてしまった。
 見れば、鍋の準備はもうほとんど終わっていた。とは言っても材料のほとんどはカット野菜だったため準備と言ってもたいしたことはないのだが。
 大牙はあわててまだ準備の終わってない食器の配膳をやり始める。
「一茶君。もうすぐできるから、好きなところにすわってね」
 そして、一茶も鈴穂に言われちゃぶ台の周りの適当なところに腰を下ろした。
 彼の隣には鍋の番をしている工藤の姿。菜箸を持って、鍋のふたから漏れる蒸気を一心不乱に見つめている。俗に言う鍋奉行という奴であろうか?
 なんというか、ター○ネーターのような外見とはギャップのある姿ではある。
「そろそろか…」
 そして待つこと数分間。鍋は出来上がったようで工藤はそう言って鍋のふたに手をかけた。
 そしてひろがるのは白い湯気。水分をたぶんに含んだそれは工藤のサングラスを一瞬にして曇らせる。
「あら、出来たみたいね。それじゃあ、はじめましょうか。
 一茶君、飲み物何がいい? 各種そろえているけど」
 一茶の左隣でそう言う鈴穂の手元にはビールからチューハイ、カクテルまでさまざまな酒の缶が置かれていた。
 一茶はそれをしばらく眺めた後「じゃあ、カルピスハイで」と水玉模様の缶を指差す。
「おいおい、男だったら最初はビールでしょ」
「いいじゃない、そんなこと」
 横から大牙が口を出すが、鈴穂はそう答えると、一茶に希望通りカルピスハイを注いでくれた。一茶が「ありがとうございます」と言っている間に持っている紙コップはすぐに白色の液体でいっぱいになる。
 大牙はどうやらビールのようだ。工藤も大牙に言われたのか、グラスにはビールが注がれている。そして、部長の紡はというと…
「部長… やっぱりそれなんですか?」
「? 当然だろう。酒と言ったらこれだ」
「けど、それは… いえ、なんでもないです」
 大牙は最後まで言わずに下がった。
 彼の視線の先にはピンク色の液体が注ぎ込まれた部長の紙コップ。
 中身はイチゴのリキュールと牛乳を混ぜたイチゴミルクである。
 酒といったら語弊のありそうなそのアルコールはもちろん甘く、その色から見ても女性が好
みそうなものなのだが、酒の席では紡は必ずといっていいほどそれを飲んでいた。
 そして、唯一の女性部員はというと。
「やっぱり、神風よね」
 嬉々として自分のコップに注いでいるのはライムジュースとヲッカ。
 アルコール度数が確実に30パーセントを超える飲み物を製作していた。
「普通、逆だと思うんだけどなぁ」
 誰もが合意するであろう大牙のその呟きは誰にも聞かれることなく消えた。
 そして、全員が飲み物を持つと紡がしゃべり始める。
「さて、皆のところに飲み物はいきわたったかな?
 それでは、新入部員を歓迎して…」
『かんぱ〜い』
 全員の掛け声と共に頭上でぶつかり合うのは紙コップ。その衝撃によって、中身がすこし鍋に落ちたのはご愛嬌だ。その日は一茶にとってとても楽しい一日となった。

これが、彼がWOCに入った経緯である。だが、この時はまさか覆面をして犬の銅像の上で高笑いをする羽目になるとは思っていなかった。
 確かに普通じゃない部員と普通でない部活であった。しかし、部員は皆良い人(人ではない人が居るが)だったし、最初に大牙と鈴穂から聞いたその言葉をすでに忘却していたからだ。
 悪夢が始まるのは、一週間後の土曜日。部活の活動日からだ。
 その日、と言っても今朝のことだが、一茶は部長に言われたように部室へと向かっていた。
 初めての部活動の日である。緊張する面持ちの中、学園の端の林に一茶はいた。おでこに浮かぶ汗の意味はここに来て初めて初日に聞いた大牙と鈴穂の言葉を思い出したからである。
 曰くその日の部活動は部長の気分で変わるらしい。
「だ、だけど、そんな無茶なことはしないよな?」
 わざわざ口に出していったのは自分を勇気付けるためである。
 彼はポケットから紡からもらったペンダントを取り出すと、それを掲げて呪文を唱えだした。その瞬間に現れるのは大きな城門のような扉だ。彼は自分に活を入れると、それを恐る恐るくぐる。そして、次に目に入ったのは暗い石室であった。
「はっ?」
 予想外の出来事に一茶は声を上げる。
 確か一週間前に見た時は、ここはただの和室であったはずだ。いや、ただのというのは少々語弊があるかもしれないが。ともかくこんな石室ではなかったはずなのである。
 一茶は驚きながら変わり果てた部室を見渡す。
 そこは、まるで悪の秘密結社の本部のようであった。
 中央には大きな長机が置いてあり、上座には豪華な玉座、その両隣には普通の椅子が二つずつ続いている。そして、その玉座の椅子の後ろには空に浮かぶ島が描かれた旗が吊られていた。
「やあ、おはよう」
「あ、おはようございます」
 突然声をかけられそちらを見ると、そこには大牙の姿。その隣には鈴穂と工藤の姿もあった。
「驚くのも無理ないと思うけど、わたし達にも分からないわ。多分、部長の仕業でしょうけど」
 一茶が何があったかを聞こうとするが、それに先立って鈴穂がそう言う。
「これが、今回の部活動でしょうか…」
 そういう一茶の声はなんだか切実なものが込められていた。
 この部室の状態を見れば、これから行われる部活動というものがどういうものになるかは想像できるからだ。大学生にもなって悪の秘密会議ごっこなんてしたくない。しかし、この時の一茶の紡に対する認識は甘かったというほかない。なぜなら、今回の部活動は悪の秘密会議ごっこではなく、悪の征服活動なのだから。
 まあ、それはともかく、一茶を含めた四人は紡の到着を待つことにする。
 待ち人はすぐに来た。
 玉座の後ろの旗の裏からだ。しかし、その服装は黒い色のタキシードの上からマントを羽織るといういかにもそれらしいものだ。
「部長。今日の部活動は…」
 現れた部長に大牙が詰め寄る。
「見て分からんか?」
「悪の秘密結社ですか?」
「その通りだ」
 答える紡はまるで当たり前のことを言うように答えた。
「これからしばらく、我々WOCは名をエデンと改め、日本の征服を目指すことにする」
「「はぁ?」」
 思わず紡以外の全員が声を上げた。
 だが呆けていたのも束の間、すぐに大牙と鈴穂と工藤が円陣を組み始め、そこに一茶も引き込まれる。その速さは世界をも狙えるだろう。
「まずい、まずいぞ。この部活始まって以来の最大の危機だ」
 顔をつき合わせた状況で大牙が言う。
「やっぱり、行政を敵にするのは…」
 鈴穂の顔は思いっきり青ざめていた。
「俺の人生設計には犯罪は予定されてないぞ。くそっ!」
 普段這物静かな工藤ですら饒舌に悪態をつく。
「え〜と、皆さん。なんでそんなに思いつめているんですか?
 ただの遊びなのに」
 そう言った瞬間、一茶は三人に睨まれた。
「え?え?」
 睨まれた一茶はどうして睨まれたのかわからず声を上げる。
「ああ、すまん。一茶はまだ知らなかったんだな」
「部長はね…」
 大牙に続いて鈴穂が言う。
「よく言えば誠実な人なのよ」
「誠実な人?」
「そう、嘘も冗談も言わないの」
「つまり、日本の征服は本気で言っていると」
「ええ」
 鈴穂の言葉に一茶は戦慄した。マジかと目で言うが、マジだと三人共に目で言い返されたら本当に不本意ながら信じるしかないだろう。
「そういえば、この前は真冬のチョモランマに登らされたな…」
 そう言った工藤の目には涙が光っていた。
 もちろん知っていると思うが、チョモランマとは世界最高峰のことである。
 真夏でも氷点下であるこの場所に真冬に登るのはやはり人形の体でもつらかったらしい。 
 もっとも、普通の人がこんなことをしたら、凍死するのは目に見えていることなのだが。
「ともかく、協力してこのふざけた活動内容を改めるしかない。こちらの最大の武器は数だ。
 そこでだ…」
 そこまで言うと工藤は顔を上げた。
「紡。新入生もいることだ。今回はこの活動内容について決議を取ったほうがよくないか」
「ふむ、確かにこれだけ大きなことだと私の一存で決めるのは酷というものだろう」
 どうやら、紡はこちらの申し出を受け入れてくれるようだ。紡を含めないWOCのメンバーはこぞって心の中で安堵の息をついた。
 普通に考えたら賛成一、反対四でこの話は終わるはずだ。
 そう、普通なら。だが、ここはWOC。普通という言葉は通用する場所ではない。
 紡はまるで世間話をするように言葉をつむぎだす。
「そう言えば大牙、私の知り合いに新薬の実験台を探している科学者が居るのだが…
 どうやら、生命力がないといけないらしい。そうじゃないとすぐに死ぬらしいからな…」
 はたして、生命力がないといけないという新薬はどんな新薬であろうか。
「ああ、それと鈴穂。これも私の知り合いなのだがな、水族館の館長で目玉になる海洋生物を探している奴がいるんだ…
 新発見の生物が良いらしいのだが…」
 新発見の海洋生物とは暗に人魚のことを言っているのは誰にでも分かった。
「工藤。最近精神寄生体を拾ったんだ。誰か引き取り手を捜しているんだが」
 精神寄生体とはその名の通り、人間の精神に寄生する生物で人間の精神を喰らう精神生物である。普通の人間につくには感情が不安定になるくらいで問題ないのだが、肉体がない分現世への関わりの低い工藤には、死ぬことはないにしろ相当な痛手になるはずである。
 ぶっちゃけ脅しだった。
 紡はやるといったら実行する人間である。もし反対したらどうなることか分かったものではない。三人はそのことを想像して戦慄する。
「さて、それでは多数決をとろうか」
 紡は余裕のある様子で採決を取るのだが、多数決の結果が賛成四、反対一となったことは言うまでもない。

「さて、それでは今後の活動内容について話し合うことにしよう」
 それから一分後。玉座に腰を下ろした紡は意気揚々とそう言った。
 もちろん意気揚々なのはもちろん紡だけで、他の四人はそれぞれ沈んだ面持ちで椅子に腰を下ろしている。
 しかし、そんな周りの雰囲気など紡は気にも留めていない。
ただ「まずは皆に渡すものがある」と一方的に言って指をパチンと鳴らすだけだ。
 するとどうだろうか、彼らが囲んでいる机に穴が開いた。四人各々の目の前にそれぞれ一つずつである。
 次にウイーンと音がして競りあがってくるのは新しい机の表面。
 しかし、その上には残念なことにそれぞれ個性的な服が乗っかっている。
「これは、私が用意した諸君らの衣装だ。活動のときに使ってくれ」
 一茶は引きつった顔で目の前の衣装を見ていた。彼の目の前にあるのは一着の仕立てのよさそうなスーツと中央に大きな目を描いた仮面だ。
「…部長、本当にこれを着なければいけないんですか」
 引きつった表情のままで一茶は言う。顔は隠れるというものの、こんなふざけた格好をしているところを人に見られる趣味は一茶にない。
 しかしその意見も次の瞬間にはあっさりと覆ることとなる。決め手は紡の「別に警察に追われてもかまわんぞ。それには物理的にも魔術的にもジャミングが入っているのだがな」という言葉だ。背に腹は変えられない。一茶はあっさりと引き下がった。
 まあ、そうは言っても一茶はまだいいほうだ。
 青いベールとドレスのセットの鈴穂はいいとして、上半身裸の上から棘棘の肩当をつけないといけない大牙はどうだろう。もちろん、狼化してからつけろということのようだが。
そして、一番ひどいのは、
「紡、どうして俺の目の前にあるのが人形なんだ?」
そう、工藤である。
彼の前にあるのは金の髪に青い瞳、赤いドレスを着たセルロイドの人形。
幼い女の子が持っていそうな一品である。
確かにもともと精神体である工藤ならそれに魂を写すことも出来るのだが、
「こんな関節駆動もできないシロモノで動けるか!」
 形状についてはあえて突っ込まないようだ。
 そのことを指摘しても却下されるのは目に見えているためである。
「大丈夫だ。浮遊の魔術を使えば問題ないだろう」
「おい、待て」
「分かっている。そのための補助も作っておいた」
 そう言って紡が指を鳴らすと次の瞬間に工藤の後ろの壁が開く。
 そこから現れるのは十歳ほどの一人のかわいらしい少女だ。
 そしてその格好はなんと言うか用意された人形とそっくりだった。
「なんなんだ? これは…」
 工藤は静かに聞く。
「その補助用に用意した人形だが?」
「に、人形ですかこれ?」
 紡の言葉に一茶は驚きの声を上げた。
「ああ、人形だが…」
「そんなことは分かっている。なぜ、最初から駆動できる人形に憑依させないんだ?」
 工藤は言葉をさえぎって紡に詰め寄る。
「ふむ、しいて言うならロマンだ」
「ロマン?」
「ああ、実は少女が持っている人形が本体という驚きはなんだかときめかないか?」
 工藤は静かに頭を抑えた。
「それと、これは設定だ」
 紡は工藤の反応など気にも留めていない。次に彼が取り出すのはB5サイズの冊子だ。ちょうど四冊あるらしくそれらは彼ら四人に配られる。
「設定?」
 いきなり手渡されたそれを広げながら一茶は問う。
「ああ、お前達のコードネーム、組織に入った生い立ちと決め台詞だ」
 組織に入った生い立ちも何も一茶の場合は不幸な事故で入ってしまっただけである。
 しかし、冊子の中にはありもしない彼の経歴が書かれていた。
『聖なる瞳の観測者(小林一茶)
 幼少のころに目覚めた小林一茶は破滅する世界を見る。
 彼は世界を救うためにあえて悪に手を染めるのだった。』
 はっきり言ってこの力に目覚めて以来、一茶はそんな未来を見た覚えはない。
 決め台詞で書かれている「もしも、最悪な未来が来るのが分かっていて君はそれを黙ってみてられるか?」というのも、自分の性格から離れすぎていると思った。
「これからは衣装をつけた時はそれに準じたような発言をしてくれ。
 それと、これらは君たちの直属の部下になる戦闘員だ」
 相変わらずこちらの気持ちを無視して紡は続ける。他の者達は完全に置いてきぼりだ。
 しかし、彼は気にしない。気にも留めない。涼しい顔をして指をパチンと鳴らすだけである。その音を契機に今度は入り口付近の壁。そこに並んでいたのは整列された四列の人影だった。
「紹介しよう。左から『銀狼』の部下となる『骨格獣』だ」
 一番左側で並んでいるのは動物の骨でできたスケルトン部隊だった。
 銀狼とは大牙につけられたコードネームであるから、彼に用意された部隊なのだろう。
「続いて、『水人』、『海の涙』の部隊だ」
 その次に並んだのは半透明の人型スライムだった。鈴穂の部隊である。
みずいろの体を震わせながらたたずんでいるそれはなんと言うかひどく頼りない。
「そして、その隣が『一目』。『聖なる瞳の観測者』の部下となる」
 一茶の部下として紹介されたそれは一つ目の鬼。仰々しいその姿に一茶は思わず引く。
「最後に、一番右にいるのは『ファンシー』。『赤きドレスのセレイシア』の部隊だ」
 工藤の部下となるその部隊はひどくかわいらしい。なぜなら全てがぬいぐるみなのだから。
 工藤はそれを見て思わず眉間にしわを寄せていた。
「第一回の活動としては我々の存在を日本中に知らせようと思う。
 というわけで、各自自分の持ち場にて、我々の存在を知らしめるのだ」
 紡は最後にそう言うと体がうっすらとなり消えてしまった。
何処に行ったとかそういう発言は誰もしない。
 ただ、これを本当にやらねばいけないのかという重い空気だけがその場を占めた。
そして、冒頭に戻るわけだ。
 この一週間、とはいっても先週の土曜と今朝しか思い出していないが、を思い出して一茶は涙を流し続けた。
 一茶を含めた四人が願うことは唯一つ。
 紡が早く日本征服に飽きてくれることである。
「ふはははははははは」
 一茶は時々すこし上ずる笑い声を上げながら今このときの時間の流れがひどくゆっくり流れているのを感じていた。

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