敗走


 あれからどれくらい意識を失っていたのだろうか。
 俺がジムのコックピットで意識を取り戻したとき、ずっと聞こえていたはずの戦闘による爆発音や射撃音が小さくなっていた。
「俺は生きているのか……」
 赤い光でコックピット内は赤黒く見えた。非常灯が点灯していたのだ。
 俺はまず、身体の状態を確認した。感覚はあるか、出血はないか、身体は動くか等だ。
 大丈夫のようだった。右足が潰れたハッチに挟まれてすぐには抜けないが、右足自体の感覚ははっきりしている。頑張れば抜けるだろう。
 次に機体の状態を確認した。
 非常灯が点灯しているが、機体の損傷の程度はわからない。操縦桿はどこかシートの裏にでも飛んでいってしまったのだろう。あるはずのところにはなかった。計器類は当然動かないし、外の状況もわからない。
 一つ救いなのは、メイン電源が落ちていたことだ。これでほっておいても核爆発の恐れはないということだ。
「ここにいても仕方がない。とにかく外の状況も把握しないと……」
 右足を挟んでいるハッチを両手で押してみた。しかし、全く動かない。
 身体をシートに固定しているベルトを外し、もう一度押してみたが、それでも動かなかった。この体勢では力が上手く入らないのだ。
 今度は、背中をシートに密着させ、両手で踏ん張り、左足で力の限り押した。
 ギギッと金属が擦れるような音がして、少しずつ動いていく。そして、ハッチの隙間から外の光がコックピット内に差し込んできた。
 さらに左足で押すと、ようやく右足が抜ける程度の空間ができた。
「よし」
 右足も使って、もっとハッチを押した。
 すると、少しずつしか動いていなかったハッチが突然外れ、目の前が真っ白になった。
「これで出れるな」
 コックピットから出ると、外は静かなものだった。遠くで発砲する音が聞こえるが、かなり遠い。あの分じゃ、俺たち連邦軍は退却しているのだろう。
 あの狙撃手ももういないようだ。アイツは俺が死んだと思っているだろう。
 ひとまず、自分の機体を見てみた。俺は背筋が冷たくなった。
 胴部に打ち込まれた弾はコックピットのすぐ右に当たっていたのだ。少しずれていれば、今俺はこうして自分の機体を眺めることなどできなくなっていただろう。
「そうだ! 軍曹は?」
 軍曹と敵が相打ちになっていた場所を見た。
 二人の機体は折り重なるように倒れていた。やはり軍曹も死んでしまったのだ。確認しなくてもそう思った。
 無駄だとわかっていても、俺は軍曹の機体に近付いてみた。
 倒れてしまっているため、状況はつかみにくかったが、近付いて機体の上に上ってみると両者はあまりにも見事な相打ちをして果てたのがわかった。
 軍曹のジムがビームサーベルで敵機のコックピットを貫くと同時に、敵MSの右手が軍曹のいたコックピットを潰していた。
「ハット軍曹……」
 俺はまた仲間を失った。フライ少尉とハット軍曹、二人とも俺より優秀な軍人であったのに、その二人が死に、無能な俺が生き残った。
「また俺だけ……」
 また俺独りだけが生き残ってしまった。死にたいとは思わないが、一人だけ死ねずに無様に生き続けるというのも辛い。やはり第三小隊は『呪われた第三小隊』らしい。ここで死ななかった俺でも、次は死ぬかもしれない。
 俺は目を閉じ、色々と浮かんでくる嫌な考えを頭の奥に押し込めた。今は、ここから生きて帰ることだけを考えるべきなのだ。。
 すぐにコックピットに戻った。小銃があの中には置いてある。普段から小銃を含めた基本的な装備一式は置いてあるが、今回、敵本部を制圧するにあたり最終的にはMSを降りての戦闘になる可能性が高かったためいつも以上に準備をしてきていた。
 あれらを取ってくる必要があるだろう。実際に撃ち合う事になるかはわからないが、なくては身を守れない。
 俺はいるかもしれない敵兵に見つからないよう、周囲を警戒しつつ先を急いだのだが、一人のジオン兵を見かけることすらなかった。それ自体は幸運なのだが、連邦兵も一人もいなかった。
 この辺りでの戦闘はすでに終わっていたのだ。このぶんだと、俺たち第三小隊や、第一、第二小隊も全滅したと本隊は判断しているはずだ。いくら待っても、助けが来ることはない。いくらMSが貴重とはいえ、敵地にのこのこ取りにくる馬鹿はいない。
「このまま帰らなけりゃ、俺は死亡扱いだな」
 笑えない話だ。生きているのに、名誉の戦死で特進だなんてまっぴらだ。かといって、ここにいては本当にそうなってしまう。それが一番笑えない。
 何が何でも生きて帰りたい。
 俺は人気のない建物の中をいくつも通り、神経をすり減らしながら進んだ。
 何ブロック進んだのか全くわからなかったが、ホテルらしい建物を抜けたとき、なんとか使えそうなジープの姿が俺の目に飛び込んできた。
「あれを使えば……いや、あんなものに乗っていけば、すぐに見つかってしまうか……」
 普段なら近寄りたくもないようなボロボロのジープだ。動きそうではあるが、あんなのに乗りたいと思う自分が情けない。でも、そんなこと言っている場合じゃない。
 銃撃戦はまだどこかで続いているようだが、かなり遠い。この辺りにジオン兵がいたとしても大した数ではないだろう。正確な場所などわかるはずもないが、おそらくもうすぐ町の外に出られる。この町から駐屯地まではかなりの距離があるし、何か乗り物がなければつける距離じゃないのだ。
「よし! これで一気に逃げよう」
 俺はそのジープに近付いた。
 外側はひどいものだが、中はそれほどでもなかった。シートはしっかり付いているし、運転席まわりは十分使える。助手席の下には水の入ったボトルが数本あり、後部座席には対戦車用の携帯ロケットランチャーが置いてあった。
 乗り込もうとドアに手をかけてとき、どこからか声が聞こえてきた。弱々しく今にも消えてしまいそうな小さな声だ。途切れ途切れのその声は明らかに正常な声ではない。
 周囲を警戒しながら、俺は声のほうへ近付いてみた。何者の声なのか知る必要があるからだ。ジオン兵が潜んでいればのこのこジープに乗って逃げるなんてことはできない。
 声に段々近付いていく。しかし、近付いてもその音量の小ささはあまり変わらない。
 あれだ。あの瓦礫の裏から聞こえてきているのだ。俺は銃を握り、一呼吸おいた。そして、一気に瓦礫の上に上がり、声を発している人物に銃口を突きつけた。
「コーン二等兵?」
 俺が銃口を突きつけた相手はなんとエアー・コーン二等兵だった。
 コーン二等兵はかろうじて生きている。しかし、助からないだろう。下半身は瓦礫の下に埋もれ、さらに上半身は真っ赤に染まっていた。止まる気配のない血、流しすぎた血が多すぎる。彼の童顔は傷一つ付いておらず黒ずんでいるだけだが、血の気は失せ、俺がいるのも見えていないようだ。
 そして、同じことを何度も何度も繰り返している。
「死にたくない……死にたくない……」
 その声も俺が懸命に耳を傾けてやっと聞こえる程度だ。
 一際激しく血を吐くと、彼は事切れた。目を見開き、死の苦痛、恐怖に最期の一瞬まで身を震わせながらコーン二等兵は俺の腕の中で死んでいった。
 俺は彼の亡骸をジープの後部左席に横たえた。そして、ジープに乗り込んだ。今俺にできることは彼を家族の下に返してやることだけだ。
 幸運にもキーは刺さったままで、すぐにキーを回した。
 ゆっくりと反応を見ながらアクセルを踏み込む。いたって普通にジープは動き出した。
 死と隣り合わせ、それもたった一人でいるこの状況においてまともでいられはしない。動くもの全てがジオン兵に見える。その度に身体がビクッと硬直し、ハンドルがそれてしまう。落ち着こうとしてもどうせ落ち着くことはできなかった。
 いくら注意を払ってもこんなジープに乗っていればすぐに見つかるはずだ。見つかるはずだった。
 しかし、ジオン兵と出くわすことはなかった。見つからないこの状況がさらに俺を混乱させた。
「このまま……このまま……」
 俺はぶつぶつ呟き続けた。
 荒れ放題の道路が車体を激しく上下させ、俺は段々と妙な感覚にとらわれていた。丸いハンドルを握り、足元のペダルを踏み込んでいるはずなのに、それらの感触が消え去り、ゆらゆらと進んでいく不思議な感じ、まるで宇宙を漂っているかのような感覚だった。目に映るものがすべて不鮮明で、何なのかわからない。だが、はっきりと、これでもかというくらい鮮明に見えているものがある。
 死体だ。
 そんな状態で車を走らせたのだ。どれくらい走り続けたのか見当も付かない。だが、その変な感覚から戻ったとき、町は遥か後方で小さくなっていた。
 俺は身に危険を感じることなく、何だかよくわからないうちに町を脱出したのだ。
 死の恐怖から解き放たれ、やっとまともに物を見、考えることができるようになると、俺は車を止めた。
 水を頭からかぶり、腹いっぱいに飲んだ。
 全身に水分がいきわたるようなこの感じがとても心地良い。
 頭がまともになればなるほど、頭の中に俺を残して死んだフライ少尉とハット軍曹、後部座席に横たわっているコーン二等兵のことばかり考えてしまう。
 再びジープを動かした。三人のことを振り払うように俺は、アクセルを目一杯踏み込んだ。
 俺は一度も振り返らなかった。いや、振り返ることができなかった。
 ただひたすらジープを走らせ続けた。


   
 

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